六 其後の天佑俠
天佑俠を韓半島に送れる玄洋社は、第二隊を組織して鷄林に殺到せむとし準
備する所あり、偶機熟して日淸交戰玆に起るあり、乃ち第二隊組織の事已む。 天
佑俠俠士は、全琫準との約を履まんと欲し、鷄籠山を下り、時澤右一を福岡玄洋社
に歸し天佑俠の狀を報ぜしむ、頭山、平岡等天佑俠の爲めに幾干かの軍資を時澤
に與へ、再び韓國に赴かしむ、然るに時澤身軍藉に在り、乃ち天佑俠に加はらずし
て從軍す。
天佑俠京城に向ふの途、日淸交戰始めて起る、而も日本政府は天佑俠に擬する
に、持兇器强盜の罪名を以てし、其行衛探索に努むるあり、玆に於て武田周山、佃信
夫、西村天囚等天佑俠の爲に斡旋する所あり、軍政府天佑俠をして牙山の淸兵偵
察を命ず、天佑俠員大に之を喜び直に命に服し事に從ふ一行十五名金二百圓を
給せられ、牙山淸兵屯所に向ひ大に努むる所あり。 途に內田病み一行と袂を分
つ、內田密に朝鮮火藥製造所に入りて假寢す、時に壯漢突として來る、內田鮮人の
已に危害を加ふるものなるかを思ひ、凝視すれば何ぞ計らん、本間小平なりき、兩
人奇遇を喜ぶ、本間曰く、予曩日途に午睡して劍を鮮人に奪はる、君今病みて歸ら
むとす、其帶ぶる所の名劍を我に與へよと、內田乃ち其刀を本間に贈りて袂別す、
一行任を畢りて、或は平壤方面に從軍するあり或は內地に引き上ぐるあり。
內田仁川に到りし時、頭山、平岡より天佑俠援助として軍資を持たしめたる玄
洋社員宮川五郞三郞と會す。 時に鈴木、大原、吉倉等又來り會す。 吉倉は釜山に
歸り鈴木、大原、內田長崎に歸る。 三人長崎港に着したる後ち、道尾溫泉に至り勞
を慰せんとし、一浴して盃を傾け微醺僅に頰を染めんとする時、玄關に當り、警吏
佩劍の音あり、是れ三人を檢擧せんとして長崎警察署員追跡し來れるなりき。
鈴木、大原後庭より遁れ、鈴木は長崎に歸り綠屋に入る、綠屋の女將氣骨あり、鈴
木を其倉庫中に永く隱匿し畢る。 大原は鈴木と別れて、道を西方に取り、山を越
え、谷を涉り、早岐の近く鬨音の渡に出で、佐賀より福岡に出でたるも尙ほ危險の
身に及ぶものあるを察し、遠く北海道に走り、當時北海道に在りて新聞紙經營中
なりし天門中野次郞の許に身を寄せたりき、內田は年少の故を以て事なきを得
後ち東上して平岡の許に寄り、更に西比利亞探檢を企劃す、吉倉仁川より釜山に
歸るや憲兵の爲に捕はれ、糾探甚だ嚴なり。 當時釜山にありし邦人等大に天佑
俠及び吉倉の爲に斡旋するあり、天佑俠が馬木健三の金山に於ける爆裂彈强奪
の如き之れ只表面朝鮮政府に對する爲に行ふ所にして、素、八百長なりし事判明
の、遂に證據不充分の故を以て赦されたり。 嗚呼天佑俠其俠士僅に十五名、萬難
を排して東學黨と合し、遂に火の手を揚げ得て、遂に日淸交戰の端を開かしめた
り。 其功又偉ならずとせんや。