二 京軍和を媾ふ
前に東學黨の在るあり、後に福龍軍の起るあり、官兵進退困難なり、乃ち東學黨
に對し和を媾ふ、之れ京軍の狡智攻戰を避け東黨軍を離散破滅せんが爲めのみ
其條件に曰く、
第一 東學人は尋常敎化なき民と異にして、頗る國家の爲めに用を爲すべき者なり
故に一般民衆亦能く其意を體し、漫に之と爭端を開き、以て東學に對する官の
禮遇を傷くべからず、命に違ふ者は重罰あり。
第二 東學人中、從來家を捨て産を擲ち、四方に出遊したる者極めて夥しかるべし、思
ふに其家政亦之が爲めに紊亂して目下困難の狀に在る者、從つて少なからざ
らん、是を以て一般民衆中、若し黨人に對して債權を有する者あらば、事情の如
何を問ふを許さず、爾後宜しく悉皆其債權を棄つべし、又田地等を債權の典當
に預り居る者は、總て其田地を本人に返還すべし。
第三 東學人の四方に往來するを妨ぐべからず、舊怨ある者と雖も、決して他の行動
を阻害するを許さゞる也。(天佑俠拔抄)
東軍又意氣沮哀衆心戰に倦むものあり、全總督今直に兵を用ふるの不利を見、
七月一日京城に相合して事を擧げん事を俠士と誓ひ、日章旗を携ふるものを義
兵の印とせん事を約し、俠士に贈るに麻布數卷、麻服數着路錢五百兩、金砂丹數十
個、朝鮮色紙數十卷、馬三頭、馬夫三人尙ほ添るに東學黨の祕密印符(一人に一個宛)
を以てし全總督又兵を率ゐて玉果縣に去る、天佑俠士又速に京城に出でん事を
思ひ、金州其他途に幾度となく韓兵を懲して暫く八道第一の靈域鷄籠山新元寺
に籠つて勞を休め神心を慰むる所あり、當時一行中の保寧山人賦して曰く。
太平歌
太平唱來五百年 厝火積薪坐貪眠 曆數有讖思鄭氏 八道無人解倒縣
三南時聞杜鵑叫 泰山欲呼寸膚雲 半夜聞鷄誰唾手 幾人撫枕氣慨然
東學道主崔夫子 心抱濟世斥西祅 名高一代誡妄作 十萬敎徒擔一肩
難奈衆徒激時事 飛檄馳羽人馬喧 念珠在手提銃起 誓排閭闔訟民黨
全州北淸朝天闕 南之嶺湖勢可連 韜略獨推金琫準 萬馬銜枚度層嶺
曉霧未醒夜宴酒 一城倉皇驚響弦 軍令淸明十二幟 城下望風衆萬千
趙括乞降官屢敗 陣營講道開法筵 三南旣非敗官有 宜向京師勒鞍鞭
烈焰四面萬雷逬 江華親軍捲狂瀾 爲民殺民非吾義 姑全城民且退軍
日東男兒有義膽 天佑其俠貺天權 錦囊祕得霹靂術 長袖善藏蛟虬拳
揚鞭駕洛雨暗夜 歃血廣寒月明前 斡乾轉坤在彈指 千百幼身十五員
天佑相感是天俠 扶桑遙望鷄林烟 天俠相合是天佑 淳昌將廳訂天緣
八將星羅如曜電 賓儀上壇似神仙 指天指地誓噭日 論道談兵風生壇
大道不怪行大逆 密謀先天不違天 行徇州郡張形勢 忽放奇計入京阡
汝到雲峰立汝馬 萬縣傳檄下仙寰 鷄籠吾且閟我室 七初投鞭亂洛川
奇中有奇奇生奇 約中有約約更堅 如去如來隱又顯 神變誰敢倪其端
天佑俠兮東學黨 動九天兮潛九泉 願共建無前鴻烈 太平長歌大朝鮮
一行下山の後ち、京城に向つて道を急ぐ、途に韓人と衝突し活劇を演ずること
一再ならず。