新橋夜泊一夜を茶番に明かす
十四個の英雄、宿を定めてセイタル(新橋)の村端に在り、客房內極めて不潔、乃ち蓆を
河岸に敷き、而る後村中の濁酒を徵集して戰後久久の夜宴を開かんとす、月明天に
在り、淸流眼下を走る、巷歌は沈沈たり、砧聲は愁然たり夜烟茫茫として秋色畵くが
如し、一行之に對して心氣慘然たり、醉來日下例に依り、劍を拔き起つて胡兒曲を舞
んと欲す、田中之を制して曰く、暫く待て、此夜の風色陰然として頗る望鄕の感に耐
えざるわるを覺ふ、然るに今悲壯の古詩を賦して、更に其情を深からしむるは人の
忍び得る所に非ず、若し之より茶番のオドケを演じて、各十分に日頃の鬱悶を遣り、
且つ死地幾回の生還を祝せんと。衆皆之に同じ、各自智惠を悉して和漢東西各般
の滑稽を案出し、而る後器用不器用相混じて、頻りに腕を幾番の喜劇に振ひ、此くし
て歡歌。抃舞する者徹宵、一行復た晝來の疲勞を說く者無し、復た身の殊域に流浪す
るを感ずる者なく、更に復た己れが大功名心の犧牲として輾轉反側するを回顧す
る者無し。漸く歌舞に倦んで各各宿房に返らんとすれば、殘月滴露、人の袂を潤ほ
し曉風面を拂ふて爽然たり