參禮驛の大評定
次日早起、忠淸路に向つて發す、道の左右は有名なる全州の廣原、山遠く、水長く、稻田
開け豆圃連り、天地頗る空闊なるを覺ふ、旣にして參禮察訪に到る、此地は是れ、日後
全琫準が羈王の端を開き、數萬の黨軍を四方より招致し、以て南征の謀を決したる
處、其形勢の雄大にして各路號令の中心に當れるは、自ら天下の荊襄と思はしむべ
き者あり、一行乃ち其官衙に上つて暫く午睡を貪らんとす、官衙は大路の左傍楊柳
鬱蒼たる高丘の畔に在り、官房亦宏壯、殆んど我古寺院を見るが如し、一行旣に堂に
上れども官人出で迎へず、仍て其一房を假り、各各此に座を定め、然る後先づ議を起
して曰く、我徒旣に數十日の旅苦を嘗め、且つ幾番の戰鬪を經來つて、各各困する者
甚し、故に直に衆を擧げて京城に入らんことは、頗る艱難の狀無くんばあらず、寧ろ
之より路を轉じて忠淸第一の靈境、鷄籠山に登り、暫らく爰に立て籠つて優に氣を
補ひ銳を養ひ、而して別に二三の京人に知られざる者を派して中原の動靜を伺は
しめば、亦以て時機に後るゝの恐無かるべし、何如と。衆皆異議なし、是於一同各房
に分れて暫く休眠を恣にし、睡眼已に醒むれば、圃中に就て大瓜を獵り、各自貪食し
て以て晝飯の代物となす