流を前にして追騎を拒がんとす
俠徒は旣に全州城に於て絶大なる武勇を顯はせり、然れども勝つて冑の緖を締る
は智者の常情、一行乃ち城を走る五六町にして相議して曰く、我徒旣に難なく虎口
を脫し來れり、然れども敵勢極めて夥多、一回の示威を以てして容易に其銳鋒を全
挫すべからず、或は恐る、彼等半夜を待つて再び追騎を放ち、而して我徒の困臥を襲
はんことを、果して然るが如きあらば、是れ由由しき大事なり、我徒は此夕遠く走つ
て身心を疲勞せしむべからずと。往くこと一里にして一川流あり、流の對岸は卽
ち一小驛なり一行乃ち其驛に就て宿舍を定め、飯後河岸に出でゝ追騎に對する備
を設け、然る後宿房に還つて各各寢床に就く、然るに此夜ピンデの襲來例に無く劇
甚を極め、夜半に及び苦惱を叫ぶ者多く、終には皆房より遁れて庭上に露臥するに
至れり、吉倉獨り床上に平然として鼾聲雷の如し、一行之より吉倉を指してフヂミ
と呼ぶ、其餘りに無頓着なきを惡みたる者なり