鷄頭を斬つて田中村民に諭告す
次朝馬房を發し、益益全州路に向つて輕驅す、午時一古驛に達す、炎威甚し、一人曰く
吾徒久く日本流の餐事を爲さず、形容頗る枯槁せり、乞ふ之より河魚を漁して、佳肴
に有り附かんと、衆皆異議なし、乃ち着衣を脫し、袴の一方を括り、之を以て網に充て、
數人村端の小流に提げ入り、下流に網を敷きて上流より魚を追ふ、鰻鮒の類、獲る所
甚だ多し、衆悅んで提へ歸り、火を熾にして之を炙る、是時田中獨り巷頭に在り、村民
の刻前より騷擾して甚だ容易ならざるの摸樣あるを見、殊更大刀を拔きて村鷄の
首を刎ね、手に白刃と鷄骸とを提げたるまゝ、傲然として民群の中に進み、大聲演說
を試みて曰く、汝等日本人の勇武を知らずや、僅僅十四人、躍つて東徒の中に投ずれ
ば東徒風靡して之に屈從し、弱を扶けんと欲して京軍を迎へ擊てば、數萬の精兵、先
を爭ふて敗走す、日本人の前には固より敵ある事なし、汝等之を顧みず、敢て妄りに
事を好むの心を起さば、汝等の身首處を異にすること、猶ほ此の鷄の如くならん、汝
等尙ほ恐るゝ所を知らざる乎と、音吐洪鐘の如く、說き去つて言詞頗る壯嚴なり、民
群之を聞きて慄然慴伏、復た不穩の狀なきに至る、一行乃ち平然として晝餐の用意
を調へ、食し了つて而して後各各庭樹の下に午眠し、暫く休憇して徐に晩涼の到る
を待たんとす