巡回政府としての東學軍
他道の東學軍はイザ知らず、全羅一帶、卽ち全琫準の配下に在る者に於ては、號令極
めて嚴明にして、秋毫も犯す所なく其秩序ある事は遙かに京軍の上に出でたり、是
れ實に全琫準の人に對して每に誇りたる所にして、黨軍が彼の如く一時天下の民
望を荷ふに至りたる原因も亦た唯玆に在りとせずんばあらず、看よ、京軍の到る所
は連邑の老壯悉く負擔して遁走の家財は奪掠を蒙り、鷄犬は徵發に逢ひたるも黨
軍の過ぐる所は、男女皆簞食壺漿して之を歡迎し、其一日も長く我邑に留らん事を
哀願して止まず、農者は陣頭に來つて米麥を鬻ぎ、商賈は營中に入つて雜貨を賣り
各各皆安んじて其業に從はざるは莫し、是を以て黨軍一たび其地を去らんとすれ
ば、幾百の農商亦頻りに其後を追ふて他邑に轉移するを見る、蓋し黨人と共に在れ
ば、自ら地方暴吏の誅求を免れ得べくして、生命財産、毫も其安全を犯さるゝの恐れ
ある事無ければ也、東學軍は是に於て實に救世軍なり、半島に於ける巡廻的好政府
なり、彼が自ら稱して濟衆義所と曰へるもの決して我を誣ゐず、嗚呼朝鮮の全琫凖
を失へるは、天の竟に朝鮮を興すを欲せざる者に非るなき乎