告別の贈答
天佑俠が突然全總督に告別するの必要は、速かに京城に去つて天下の形勢を詳に
し、豫め時急に應ずるの策を建てゝ、變俄かに到るの日、周章の態なからんことを冀
ひしに出づ、湖南五十六州は關中根據の地、固より容易に捨つべきに非ず、然れ共彼
等は夫の三十日間僻鄕空待の日子を以て特に惜むべしと思へる也、卽ち萬一一同
休臥の期間に方つて時局の上に忽然變狀を呈するあらば、一同數十日間の臥薪嘗
膽は一朝にして徒勞に歸し去らん、是れ俠徒の最も憂悶に耐えざりし所也、故に天
佑俠が京城入りに輕急の擧措を取るに至りたるは、强ち咎むべき所以を發見せず
次朝俠徒は全總督に向ひ、三條の問題を提出して其決答を求めたり
第一條 大日本帝國に於ては、士大夫の相盟約するに方り、相當の儀式あり、足下
も亦朝鮮の儀式を用ゐ濺血以て其議を表し、日後復た相背かざるの證
と爲すべし
第二條 我同志今より將に京に上らんとす、足下宜く沿道所在東學統領輩の姓
字鄕洞を報じ、我徒往訪の便を與ふべし
第三條 我徒京に上つて施設する所あらんとす、足下宜く其腹心一二人を派遣
して我と同行せしめ、以て我徒今後の動作を監察せしむべし
之に對する總督の答書に曰く
第一條 肝膽相許し、同心相照らす、我徒は旣に天を指して生死の誓を爲す者な
り之より以上復た何の儀式をか要せん、公等若し盟に違ふの所爲あら
ば、天自ら之を罪すべく、我れ若し約を破るに至らば、死は固より其分、な
り、歸する所斯くの如きのみ
第二條 沿道固より我黨の頭領なきに非ず、然れ共今や多く捕を避け四方に潛
伏し、安んじて其地に留る者なし、又其偶偶留るあるは、總て皆無能頑愚
の輩、豈に能く予の諸公に對するが如く、歡んで之を迎ふる者あらんや
是を以て此輩の姓字居洞は、特に之を通告するの要なきを覺ふ
第三條 我徒は日來公等義心の存する所を詳悉して、復た些の疑念を揷まず淳
昌三回の大戰、豈に赤誠なき者の能く爲し得る所ならんや、入京後百般
の施設に至つては、一切公等の爲す所に全任して毫も遺憾無かるべき
を信ず
文書の往復を了りて後、俠徒は更に全總督に對する禮物として、時辰器瑪瑙石等を
贈れり、全は之が返禮として路錢五百兩、金砂丹數十個、朝鮮色紙數十卷、馬三頭、馬夫
三人及び麻布數卷と麻服數着とを贈り、添ふるに東學黨の祕密印符十四個(一人一
個宛)を以てし、別に二通の書簡を添へたり、此書簡は始めて東學黨人と爲る時の法
式(所謂る入道式)及び東學一般の儀禮等を詳記したる者なりしも、今や逸散して玆
に揭ぐべからざるに至りたるを憾とす