半夜英雄大に再擧を議す
一行中の長者は入黨の當初より以爲らく、同志者如何に肝膽を吐いて彼れ黨人と
相議するあるも。本來彼我國土を異にし、感情を異にし、言語習慣を異にする上は、初
對面よりして難なく彼を屈服せしめ、直に之に對して本意を遂行せんことを强ゆ
るは、甚だ難事に屬す、故に當初の會合は、先づ日本國民の義氣、頗る賴むべきものた
るを知らしむるに止め、漸次以て彼徒の間に日本氣風を吹き込ましめ、一方には日
を追ふて淸人と疎隔ならしむるの工夫を凝らし、而る後尙ほ大に爲すあるの場合
を發見せんには、一同永く黨人の間に留るか、若くは俠徒中の一二人を黨人中に留
め、以て、百般黨略の參謀に當らしむることゝせんと、其相談屢屢同志間に行はれた
り、然れども一同入京の思念頗る切なりしが爲めに、終に其議の全部は勿論一部を
も決行するに至らざりしは憾むべきの極也
日沒して後、使節は全の本營より來れり、曰く我自から往かん乎、公等其駕を抂ぐる
乎と、一同は便宜上全の自ら來らんことを求めたりやがて全琫準は來れり、而して
彼が嚴肅なる威容は刻前よりも更に嚴肅なるを覺ふ、晝間會議の結果に依り、天佑
俠一同は、怒氣憤憤として蔽ふ可らざる如くなるも、彼は秋毫意に介するの色なく、
孤身飄然、房內に入り來り、泰然扇を手にして座に着けり、少刻にして彼は又神經的
鐵骨漢の舊態に復し、嚴肅に其口を噤せり、房外の警衛は於是晝間の如く四面に配
置せらる、對話も亦ヤガテ開始せられたり、而して虛懷なる彼は口頭徐に微吟を漏
しつゝ優然として之に應ぜり
此夜の會議は餘りに長からず、一同は全琫準の提議に從ふて、止む無く七月初一日
の期日を竢つことゝなれり、全琫準は又一同の問に答へて曰ふ、公等之より我徒と
相別れ直に京を指して上り、徐ろに先づ施設する所あらんと云ふ、甚だ可なり、其施
設將に成るの日、我等亦黨軍を率ひて星夜北に馳せ、期に後れずして必ず漢江の渡
頭に相會すべし、而して其相會するの日、相應ずるの章として、共に日章旗を用ゆる
ことを約せん、蓋し日章旗は獨り貴國の國旗として尊むべきのみならず、又相應ず
るの章として識別最も明かなれば也、然る時、日章旗を提ふるの兵は悉く是れ我部
下の義兵にして、義公等と生死を共にすべきものなり、冀くば公等之を他の兇徒と
同く誤認して不仁の殺戮を敢てする勿れと、嗚呼彼も亦日章旗下に獨立の義を共
にせんと欲する者なりき、何處の鈍外交家ぞ敢て日淸戰爭開始後に至り、此半島空
前絶後の英雄をして、俄かに其向背を過たしめ、たるや