第三戰の夜襲京軍を粉齏す
軍議は爰に再び開かれたり、然れども此夜の會議は前夜と異にして、復た一個の韓
人を交へず、坐に連るものは唯僅かに天佑俠の同志十四名のみ、議は遂に夜襲に決
し卽夜之を實行せんとす、夜襲の手段は所謂る切入りにして、十四名手に爆裂彈を
提へ、二三個宛左右前後に相別れ、各所より敵陣に侵入して以て、其荒膽を取挫ぎ、及
ぶべくんば簡單なる方法を以て全軍を潰散せしめ、一擧して日本人の手竝を敵味
方に知らしむるに在り、評定旣に一決す、一同乃ち旨を全總督に報じ、卽時準備の爆
彈を取つて起ち、潛かに敵の哨兵線を通過し、徐徐として各方より次第に敵の本營
に近づき進む、發するに臨み一同約を立てゝ曰く、先登第一、陣に入る者先づ彈を投
じ、其轟響を以て各人に對する合圖とせん、各人之を聞かば直に一齊相投じ、以て聲
援を計り、急驅して突貫を試むべしと、大崎、千葉、田中先登第一たり、乃ち皆約の如く
彈を投じ、諸人相次で之に傚ふ、總て期せる所の如し、爆聲喊聲、是に於て轟轟反響し、
ともに天地を震撼す、此時京軍槪ね晝戰の勞に耐えず、陣中に枕藉して酣睡を貪り、
爆聲の耳を劈くに及び暗中敵の多寡を察するを得ず、狼狽して相蹂り、戰はんと欲
すれども策の出づる所なし、十四人突擊縱橫、無人の境を行くが如く、終に敵の全陣
を破壞し盡す、就中最も夥しく敵人を屠りたるは內田急先鋒にして、內田と相竝び
劇く敵を殺戮して諸人を驚倒せしめたるは、年少の井上なり、敢て專ら戰鬪を好む
といふに非ず、慰みがてら出合頭に敵を切りさいなみたるは鈴木、吉倉にして、最も
周到の戰鬪を爲したる者は、大原、大崎、千葉、武田、白水、大久保の六人なり、吶喊猛烈、一
騎當千の威勢を示したる者は田中、日下を推すべく、左手ピストルを用ゐ、右手刀を
携へたる割に、多數の敵を斃し、得ざりし者は時澤右一なり、斯の如くして卑怯なる
敵軍は五十餘の死屍を陣中に遺棄し躓けつ輾びつ這這の體にて血路を求め、九死
に一生を得たらんが▣く、命からから金州路を指して潰走せり、此時將に天明に近
からんとす、顧みて味方を驗すれば、一人の死者負傷者あるなし、一同雀躍の情推し
て知るべし、凱歌幾番、聲天に震へり、旣にして戰勞漸く發し、睡魔亦た襲ひ到つて堪
ゆる能はず、乃ち陣跡に臥休して徐ろに後軍の繼ぎ至るを待つ、天漸く明くれば、全
總督報を得て自ら馬を飛ばし來り、爰に始めて夜襲の顚未を詳にし、感謝稱嘆之を
久ふするの後、十四人の地位を進めて各黨軍の大將と爲す、然れども十四人固辭し
て之を受けず、唯客將の地位を以て軍事百般の畵策に參謀たらんを諾するのみ
全は此好機に乘じて直に官兵を追跡し卽朝本營を雲岩店に移し、先鋒を長橋里に
進めて、旦夕金州を衝くの勢を示せり、而して更に他面に於て力めて四方の窮民を
撫恤し、其酷吏を追ひ、其暴稅を除き、擧措堂堂宛として王者の風あり、湖南の健兒是
に至つて彼が幕下に歸屬するもの五萬人、聲威遠く湖西嶺南を震撼す、大丈夫馬上
の事豈に亦た快ならずとせん耶
喜ぶべき飛使の忽ち萬馬關より本營に馳せ到るあり、其使命に曰く、順天の少年李
福龍、鄕兵四千を提げて、順路金州に攻め上らんとす、願くは是より、全總督の節度を
承け以て共に與に天下の爲めに妖霧を排かんと
不快なる一報は別に先鋒の營より齎らされたり、曰く今日勅使と稱する者、全州よ
り來つて媾和の意を通ず、如何にか之を接遇して可なるべき、敢て總督の賢慮に訴
へんと
天下億兆の爲めに妖霧を排して立たんとするか、抑も亦た王命を拜して媾和の約
を立てんとする耶、全總督の進退去就果して如何