第二日早朝の東面軍
大將時澤意氣甚だ揚らず、井上亦た激鬪に勞し、韓將斐氏負傷して東面の軍終に支
へ難く、漸く柯王里を退却せんとす、形勢窮塞復た奈何ともす可らざるに似たり危
急の報直に本營に到る、全琫準乃ち三軍師と熟議し、終に吉倉をして退兵二十人を
率ゐて、救援に赴かしむ、吉倉卽刻兵を提げて電馳柯王里に到り、先づ其地理を察し
竊かに樹陰に據り、不意に吶喊して京軍の橫面に衝突せんと欲す、京軍大に驚き、以
爲く敵の援軍大に至ると、乃ち急に陣を去つて少しく其兵を退く、是に於て我軍復
た振ひ、刻前の敗形は俄に變じ來つて却て攻勢を取るに至る、時に南面軍の白水玉
果より雲岩江に沿うて遡り、急に赤城津の背後に現はれ、頻に敵の走路を絶たんと
欲す、敵頗る驚き、屢屢後方を顧みて士心一ならず、吉倉兵機に乘じて益益樹陰より
狙擊し、井上時澤の軍正面より猛進して日前の敗辱を雪がんとす、白水亦次第に敵
の後軍に迫り、三面合擊勢甚だ壯なり、京軍終に拒戰するに耐えず、陣形大に亂れ、次
第に潰敗して北西に向つて走る