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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
  • 기사명
    進擊軍の進退
  • 이미지
    prd_0140_132 ~ prd_0140_134 (308 ~ 310쪽) 이미지
  • 날짜
일러두기

進擊軍の進退

內田は天佑俠中の急先鋒、危を冒し難を凌ぎ、四方に轉載して虛を衝き、不意を襲ふ
には最も適任たり、是に於て乎、遊擊軍の大將として潭陽攻擊の任を帶び、更に敵の
背後に出で、千葉と合擊して西方京軍を鏖殺せんとす、副將西脅榮助は機敏健脚、韓
語に巧みなる者、而して內田の率ゆる兵は、韓將金氏外七十人、秋月山の間道より防
策峴の右側を過ぎんとし、拂曉淳昌の本營を發す、不幸山中に至つて道に迷ひ行け
ども行けども、曲江の上流に出でず、益益焦躁すれば深く山中に迷ひ入るのみ、容易
に目的地に達する能はず、內田の苫悶計るべからざる者あり、一同氣疲れ、神餒ゑ、暫
く樹下に少憩す、忽ち聞く一幽潭の對岸、何方の遁世僧ぞ、敢て妄りに木魚を連打し、 觀世音菩薩を連唱し、頻りに空寂の仙境を騷がし來るあり、內田頭を廻らして熟視
之れを久ふし、拍手一番、急に西脅を拉し去つて看經の邊に尋ね至る、一茅庵あり、竹
林の間に隱る、扉を推開して入れば庵主亦椽端に出でゝ懇に客を迎へんとす、二人
不圖其人を見れば、何ぞ圖らん、是れ花顔柳容多く見る可からざる尼僧ならんとは、
抑も斯の如き佳人の何の爲めに世を厭ひ、髮を削つて尼僧とはなれる、是れ頗る疑
ふべし、流石の二士も茫然として佇立これを久ふす、然れども彼の尼僧なる者亦頗
る禮を解す、其の突然異裝の外客を見るや、敢て驚かず、却て直に蓆を取つて椽上に
延べ、此處に休憇せんことを乞ふものゝ如し、二人乃ち安坐少刻、改めて來意を致し、
其衆の爲めに嚮導たらんことを切願す、尼僧快諾、更に辭を繼で曰く、妾は本と萊城
外一士農の婦、夫は前に民生の爲めに擁せられて、官に强請する所あり、後其罪を問
はれて直ちに死に處せらる、妾が當時悲哀の情は、口語るに詞なし、乃ち薙髮して佛
弟子となり、多年此山中に獨棲し、以て亡夫の後生を弔ふ、今貴賓の此の處に光臨す
る、其徽章に依つて妾初めより義軍の人たるを知り、忽ち亡夫の義を追想し欣慕の
念禁ずる能はず、敢て尼僧の身を以て貴賓の尊顔を冒す、多罪多謝、若し夫れ貴賓の 爲めに敎導と爲るが如きは卽ち是れ亡夫の志を成すもの、妾の本懷何事か之に過
ぎん、謹んで貴命を奉ずべしと、卽ち身を起して室に入り、輕裝して又出で、柳腰挫け
んと欲する身を以て敢て蓮步を運んで兩士と相伴ひ、進んで軍士休憩の所に到り、
更に之を引導して徐徐細溪に沿うて下り、終に一大道路に達す、於是て尼僧辭別し
て曰く、潭陽城は是より左する僅かに一里許、願くは此地に於て相別れん、貴賓幸に
民生の爲に奮鬪其義を全ふせよと、言終り身を轉じて丘上に攀ぢ、飄飄として雲煙
の間に沒し去る、內田衆を激勵して急驅し、直に潭陽城下に達す、乃ち正門より驀入
して其官營を襲ふ、時に營兵多く出て、防築峴の戰に赴き、城內空虛殘留する者百に
滿たず、內田突進營に入つて大喝すれば、京兵萎縮、銃を捨てゝ多く降を乞ふ、蓋し變
不測に起つて敵の多寡を詳にせざれば也、內田悉く其降兵を收め、之を先驅として
急遽防築峴に向ひ、京軍合擊の前約を果さんと欲す

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