遊擊軍の進退
大將大原義剛は極めて剛毅の士、正正堂堂敵の中軍と接戰せんことを期し、獨身北
面の將任たらんことを望む、乃ち韓將李趙の二氏及び兵一百を率ゐ、拂曉全州路を
望んで發程す、行きて雙岩里に達すれども未だ一兵の來り迫るものなし、乃ち前衛
を進めて岩峙村に入る、京兵尙ほ未だ來らざる也、於是壘を秋月山下に築き、高丘に
據て敵を迎ふるの策を建て、雙岩里の兵を擧て之に合せしむ、山霧旣に吹き散じて
朝暾漸く暉暉たり、壘頭眥を決して前面を望めば、長橋里、雲岩店、獨山洞の連邑、雲岩
河一帶の平野は、何時とも知らず京兵の充滿する所となり、山も川も皆な進擊喇叭
の一曲に震動し、土民等の擔荷して侵掠を遁れんとするの狀、歷歷指點すべし、大原
哄然として破笑し、壘を下りて、韓將を顧み、靜に謂つて曰く、大丈夫畢世快心の時今
に在り、公等速に壘畔に配兵して我號令の發するを竢てと、韓將乃ち唯唯として退
き、施設總て受命の如くして京兵の來り迫るに備ふ、警衛は此の如くにして漸く其
緖に就けり、此時恰も好し京軍徐徐行進を始め、一隊二千餘名、獨山洞より雲岩江を
亂り、肅肅然として長財洞に入り來る、其勢長江堤を決して奔るが如く、草も木も皆
一樣に風靡して、當面殆んど抗拒すべからざる者に似たり、大將大原莞爾として久
く壘頭に在り、乃ち手を擧げて急に兩韓將を靡き、速に其側に到らしむ、韓將到れば
大原耳を屬して密かに吩咐する所あり、韓將唯唯として退き、三四十卒を率ゐ、突如
として壘の一方より下り、京軍の前衛に向つて急襲を試みんとす、京軍騷擾、隊を亂
して防戰し、韓將亦た左奔右走して挑戰の狀をなす、暫くして我軍退きて悉く壘中
に入れば京軍大に之を追跡し、輕進して壘下に蟻集する者正に三百、大原之を見て
大喝一齊、射擊の號令を發す、一百の黨軍、聲に應じて急に銃を執り、速射約五分間、其
の奇、驟雨の忽ち至るが如く、硝煙䑃䑃、壘を蔽ふて暗澹たる者久し、硝煙爰に散ずれ
ば壘下一面京兵の算を亂して斃るゝもの累累たり、而して餘衆は旣に全く潰散し
て纔かに本隊と共に在るを見る、第一戰其勝利は先づ黨軍に歸したりと雖も、衆寡
勢を異にするもの殊に甚し、是に於て大原深く慮り、容易に韓將の出戰を許さず、一
軍鳴を靜めて壘壁を固守し、暫く敵の動靜を窺ふの姿勢を取る