天佑俠の作戰計畵
ヤガテ湖南一道五十六洲の地を席捲し、傲然として、開南國王の尊號を僭稱すべき、
彼れ東學軍の總督全琫準、いかに京兵が俄然九地の底より湧き來つて攻擊を試む
ればとて、豈に容易に尾を掉り頭を垂れ、甲を解き旗を伏する者ならんや、王命は固
より尊むべし、官軍も亦理に於て簟食壺漿して迎ふべし然れども天意民心は時に
王命よりも重んぜざる可らず、況んや彼先づ義を捨て約に違ひ、而して敢て無道の
殺戮を行はんとす、是れ正に桀紂の兵にして、仁人の勦討を免れざる者、全總督何ん
ぞ必ずしも湯武の志なからん、果せる哉、二十二個の英雄は一閑房に招集せられて
京兵擊退の軍議は爰に忽ち開かれたり、各方面の部署先づ旣に定る。是より決すべ
きものは、唯作戰上の方略何如に在り、而かも全の意は本と日客の手腕何如を試む
るに存す、故に敢て深く之に關するを欲せざる者の如し、三軍師乃ち各大將と更に
相計り、一軍大體の戰を定ること左の如し
東面軍は柯王里を本據とし、雲岩江を挾んで敵と對峙し、輕輕しく出戰すべから
ず、萬一機の乘ずべきあらば江を渡つて赤城津を占領し、北方の京軍を橫擊する
の勢を取るべし、南面軍は牛峙の嶮に據り、敵の迫るを待つて之を擊破し、逃るを
追ふて玉果を占領すべし
西面軍は白山里を本據とし、防築峴を扼し、遊擊軍が敵の背後に出づる期定の刻
限を待つて合擊し、勢に乘じて潭陽を占領すべし
北面軍は雙岩里を本據として岩峙村に進み、秋月山を背にして陣し、勉めて敵を
誘ふて平地より仰ぎ攻めざるべからざる不利の地に至らしめ、以て之を擊破す
べし
遊擊軍は秋月山の間道を越えて防築峴と潭陽との中間に出で、不意に敵の背面
を擊ち、西面軍と合して潭陽を陷るべし
軍議の槪ね緖に就きたるは午前三時半、鷄鳴四方より漏れ至つて正に拂曉を破る
の頃なり、部署旣に決して戰略亦漸く其方針を定めらる、於是各大將は踴躍して席
を起ち、各韓將は指定に應じて各自所屬の旗幟の下に集り、數百の黨軍は進擊の喇
叭に連れて肅肅然、本營を繰り出さんとす、全總督と三軍師とは殿頭に立ち、微笑を
含て之を見送れり、衆軍旣に陣門を出で去れば、各面の軍隊忽然として玆に部署せ
られ、北する者南する者西する者東する者、颯颯たる曉風の中に、旗影飜飜、步調整整
として行陣の狀、宛然長蛇の原頭に輕驅するが如し