大將は何れに在る乎
廣庭の中、優然徐步して石階より上れる三士は、今まや殿頭に至りて嚴として立て
り、是に於てか取次の吏員出で來つて三士を迎ふ、數百の東學黨人亦如何なる倭客
の暗夜我陣中を冒さんとするかを知らんと欲し、殿上殿下に蟻集して頻りに其品
位風采を窺はんと欲する者の如し、而して三士の動作は彼れの如く軒昂として且
つ傲然たり、殿上に在て尙ほ其泥鞋を去らず、ヤガテ徐に尾扇を擧げて遙かに黨人
を麾き、先づ洗水を持ち來るを命ず、黨人は唯唯として之を持ち致せり、三士は復た
起立のまゝ黨人に命じて其泥鞋を解き、且つ足部の汚泥を除かしむ、黨人亦俯伏し
て其命を奉ぜり、黨人が三士を迎ふるの情や、是に至つて極れりと謂ふ可く、決して
禮を缺くものに非るを知る、今や乃ち當初に期したる幡隨院の俠骨頭は毫も其の
用を爲さず、して却て六國を遊說せる蘇秦の長廣舌を用うるの必要あり、田中は巨
眼一睨坐の四隅を睥視し、此處に集まれる者の悉く下吏部卒の類なるを見、開口一
番洪聲に呼んで曰く主將何れに在る乎、吾等同志の俠徒、密かに告げんと欲する所
ありて、特に千里の勞を致せり、速に主將を呼び來れ、部卒と相見相談ずる如きは我
が志に非ず、雜人は宜く自ら此席を避く可しと、音吐鐘の如く、堂上堂下に響き渡れ
り、然るに坐前に起ちたる黨の一人は從容として徐に之に答へて曰く、由來我黨人
は貴賤上下の差別を設けず、皆是れ同等同權の百姓なり、所要あらば乞ふ是に於て
聞承せん、願くば三士の共に坐に着かれんことをと、其說く所理義明白にして音聲
迫らず、想ふに是れ黨中の好漢なるべし、三士乃ち殿中の中央に列坐し、他の接待員
の如き者を呼んで其席を進めしめんとす、是に於て三四個の者來つて三士の面前
に近づき坐するあり、餘衆は皆周邊に起立して沈默敬意を表し、數個又三士の背後
に㢠り、扇を動かして佳賓の爲めに涼を送らんとす、此間堂下に於て叱警靜止の聲
あり、嚴に衆人の雜踏を制するものゝ如し、暫くして吉倉其懷中より儼そかに檄文
を取り出し、對座せる東黨の一人に之を與ふ、黨人乃ち之を捧げて將に披覽せんと
す、此の時、人あり靜に殿頭の衆を排し、忽然として席上に見はれ來る、三士之を見れ
ば、其人朱髯星眸、閑服雅冠、風采凜凜として四邊を拂ふの槪あり、後に至つて漸く其
東徒八大將の總督、未來の開南國王、湖南泰仁の英雄、全琫準字は明淑なるを知る