全權使の留言
此の夕、內田鈴木の二人は、發熱の苦に耐へずして酒幕の臥床に呻吟せり、臥床と云
へば臥床なれど其實は藁を積み上げたる椽外の一土間のみ酒幕は東徒の陣門を
去ること約半里强、淳昌郡城郊外の土橋畔に在り、茅屋房を設くるもの僅かに三四、
而して一行の爲めに充てられたる最大の室と云へる者も、漸く六疊敷に過ぎざる
也、諸士は强ひて鬱勃たる雄心を抑へて此隘房に留り、三士の出立を見送るの後、各
各相分れて其警戒の任務に從はんとす、三士乃ち去に臨み、言を寄せて曰く、我輩命
を諸兄に承く、旣に太だ重、一たび此の處を去らば復た生還を期せじ、若し黨陣に入
りて萬一の變あらん乎、屍を彈丸に托し、身を劍刃に橫ふるは敢て或は諸兄の怪む
を須ゐざる所、憶ふに諸兄は其員數一團十餘名、幸にして能く心を協せ力を戮すを
得ん乎、千百の韓奴竟に何をか爲さん、或は我等一たび去つて後、異聲黨陣より到る
も、諸兄決して我等を以て念と爲すこと勿れ、靜かに退軍の道を講じて以て後事を
謀る可きなりと、聞く者憮然たり、三士乃ち悠悠として幕門を出で、滿路の泥濘を踏
破して、黃昏郡城に向つて去る