英雄大雨を衝て黨軍を敲んとす
用意は旣に充分完きを告げ、探究に探究を重ねたる東徒の所在亦漸く知悉せられ
たり、今は一刻の猶豫もならじ、一行は意氣頓に軒昂乃ち次朝の大雨を物ともせず、
困難なる滿路の泥濘を雙脚の下に蹂躪し、韋馱天走りに廣寒樓より發程し、面も振
らず淳昌に向つて馳せ去らんとす、行くこと約四里許、小流を渡つて一客棧あり、一
行此處に入つて暫く休憇し、且つ午飯を喫す、而て吉倉、武田は更に別房を求めて共
に其檄文を淸書す、此時行客の來り告げて曰ふものあり、黨軍の淳昌に據るもの精
兵約五百を下らぎるべしと、衆議是に於て先づ大原田中を遣り、就て黨人の感情を
探らしめんとす、二人旣に去つて後一時間許、一行亦其跡を追うて發す、其淳昌郊外
に達したるは旣に黃昏に近し、遙に前頭を望めば偉丈夫の市端の橋頭に立ちて、雙
手を擧げて一行を麾くあり、次第に近けば是れ卽ち前往の田中なり、彼れ呼んで曰
く、吾黨萬歲、彼我連合の策顧ふに敢て之を成すに困難なることなけん、今一書狀の
特使に附して黨軍より齎らし來れるあり、乞ふ衆と共に爰に之を披き、以て迅速回
答を贈るの手續を取らんと、封を披て之を讀めば其文に曰く
貴國大人各位、萬里を遠しとせずして駕を陋地に抂げ、熱風火雨、長途の勞苦誠に
驚惶に耐えたり、知らず諸公の此處に來る、本と大命を帶びて敗餘の吾黨人を萬
死に救はんが爲め乎、抑も亦別に期する所あるに由る乎、幸に敎示を賜はゞ幸甚、
吾黨人曩きには貪官汚吏の民膏を剝割するを默視するに忍びず、一朝俄然冤を
嗚らし訴を呼び、衆を會して全州に入る、志一に百姓と共に其浮沈を與にするに
あり、意はざりき、城上砲丸雨下、敢て我千餘人を射殺す至冤極痛の情、今や訴を呼
ぶに所なし、而して如是至冤の民終に指して不軌の徒に數へられ、方伯守命、每に
劍戟を磨して吾黨人を邀擊鏖殺せんとす、天下の無辜之より甚しきあらんや、是
れ實に諸公の憐察を乞はざる可らざる所、且つ吾黨人本來德を明かにし、道を宣
ぶるを主意とす、故に久く兵馬の間に驅逐すと雖も、今に至るまで曾て一たびも
無辜の民を害したる莫し、其紀律の整然亂れざるは竊かに自ら京軍の上に出づ
るものあるを期す、諸公若し高駕を我陣門に抂げ、而して愚蒙を啓諭するの勞を
吝まずんば、何の遲疑をか要せん、何の躊躇をか須ゐん、會生等席を請じて謹で諸
公の光臨を竢つ