廣寒樓の第二日
次朝行人の談ずる所を聞けば曰く、東學軍は昨夜正に南原を去る西方六里の地、淳
昌の郡衙を襲ひ、之を奪ひ之に占據して今尙其陣營を設くと、但し其兵員に至つて
は或は數百と云ひ、或は數千と稱し、諸報一定ならず、一行此報を耳にするや、血湧き
肉動き精神俄に激昂し、竊に旣往の困苦の徒爾に屬せざりしを祝賀し、且つ爰に始
めて前程一道の光明を認めたるを覺え、欣然として東徒の陣營を訪問するに決す
乃ち百般の準備を速成するに力め、次朝拂曉を以つて此の地を發程せんとす、是に
於て乎銃器掛り大崎千葉は倉皇として銃器の掃除に走り、彈丸掛り白水は彈丸の
製造に從事し、爆彈掛り日下は小心翼翼として爆裂藥の罐詰に勉强し、劍を提げた
る者は各自其刃を磨して之が目釘を撿め、內田、大原、大久保は庭上各方面に分れ立
つて雜人の侵入と準備の邪魔物とに警戒す、而して時に爆裂彈を投じて其效驗を
試驗し、牆畔壁邊轟然たる大響を發せしむるあり、風色極めて慘憺たり、然るに樓外
庭上を圍繞して之を望觀せる滿城の韓人は、秋毫も府安妨害の疑念を抱くもの無
く、單に珍異の感に堪へずして其祕密を伺はんと欲するものゝ如く往往人波を打
つて庭上に亂入し、護衛の韓卒も之を制壓する能はざることあり、亂入の徒若し堂
下に接近するあれば、警戒の三士は之を一攫して忽ち場外に擲ち去り、尙ほ懲りず
して來るものは壓搾して姑く之を眠死せしむる等、殆んど鬼神の如き威力を弄し
て以て僅かに韓人を畏服せしめたり、當時幸にして秩序を保維し、大なる變事なく
して充分の準備を全ふし得たるもの、專ら三士の功たらずんばあらず、唯少年井上
藤三郞は是日に於て健鬪して、痛く一人に負傷せしめぬ
一行が斯く迄に兵備を嚴重にせる所以のものは、其意他なし、東學軍にして果して
世に傳ふるが如く排外黨たり、若くは日本反對派たり、或は朝鮮に於ける無賴殘忍
の匪徒たるに過ぎずんば、一行は之に對して、秋毫も假借する所なく、直ちに朝鮮政
府に代つて、其の責罰し得ざる所を責罰し、以て其國刑を正し、且つ隣誼を全ふする
が爲めに、大に武器を用ゆるの必要を感じたるに在り、若し夫れ東學の徒にして正
義の軍たり、革命の師たり、安民定國の救世者たらば、則ち斷然之と協力合心し、俱に
代天立德の席旗を飜へし、八道一千萬人の生靈の爲めに十四個の死體を馬革に裹
み、以て生民塗炭の苦痛を脫せしめんと期したる也、見よ、天は歷歷として我俠徒を
佑くるの實を示したり、此兵器準備の時に方り、府使は公然之に借すに適當なる高
樓を以てし、府兵は來つて之が四邊を護衛し、而して其準備を扶け、其妨害を防ぎ、府
民は無神經同樣に毫も我徒が何を爲すやをも解する者なし、一行は此の如くして
一日の中に能く萬萬の大軍をも打破すべき用意を得たり、嗚呼旣に天佑あり、誰か
復た我徒志業の成らざるを疑はん