山林と河流
路は次第に棉圃に入り、來れり、棉圃漸く盡れば、竹林來る、竹林隱るれば松丘顯はれ、
乾坤益益翠色の加はるを見る、顧ふに慶尙道七十二州の中、靑山白雲、色彩相反映し
て風光を明媚にし、以て人目を慰むるの所は、東南に於て通度寺の棲鷲山林あり、西
北に於て鳥嶺秋風嶺、一帶の好松林あり、之を除くの外僅かに晉州附近の稍稍鬱蒼
たる綠林あるを見るのみ、其他は、皆是れ赭山禿峰、唯野草牧草の到處に繁茂するに
過ぎず。去ればこそ朝鮮の揚子江とも稱すバき此道の洛東江も、其流域百里に垂
んたるに拘らず、近年歲を逐ふて土砂溢流し、漸次河底を高め來り、今は河口より四
五十里の上流洛東津まで、滿水の節、辛ふじて舟運の便を得るに過ぎず、更に小滊船
の如きに至つては、河口を遡ぼる三四里以上に往來する能はざる現況なり、畢竟是
れ山林培植、の大事を等閑に附せるに依る、朝鮮扶植を唱ふるもの、宜く先づ此經國
根底の策に留意せざるべからず