子子孫孫日本に無禮を加へず
次日早起朝飯を喫せる時、皆曰ふ、夜來床蟲の襲來は萬軍の攻圍よりも劇甚にして
終に長時の快眠を全ふする能はず。悲ひかな、五尺の男兒、甚だ一小蟲の爲めに惱
まさると。旣にして飯終り、馱馬整ひ晉州に向つて發足す、連山漸く眼界より遠ざ
かり、田園次第に開けて地方の富色を加ふ、南江の流正に近ふして、路は終に水田の
間に入る。路畔數十間の地、一群の農夫あり、鍬を取つて耕やす、一行の過ぐるを見
るに及び、衆口一樣、調を揃へて倭奴來を叫ぶ、一行の意旣に懲誡に決せること前述
の如し、是に於て路を分ち畦を傳ふて農群の在る所に急馳し、ピストルあるものは
ピストルを放ち、劍あるものは劍をかざし、四方より包圍して之を威壓せんとす。
農人輩、其容易の敵にあらざるを知るや、忽ち狼狽して走路を求め、全力を盡して村
洞に遁れ去り、復罵詈者の誰なるやを知るべからず、然れども事態旣に此極に迫る
以て空く止む能はざる也。一人乃ち一計を案じて村老の家を叩き、之をして村內
一切の長者を招き致さしむ、長者皆集る、仍て大に、之を叱して曰く、汝が村民は何が
爲めに然く日人に無禮なる歟。 同く是れ東方兄弟の國にして相敬することを知
らざるは誠に天下の大憾事なり、而して愚民の此憾事を敢てするは汝等父老平生
其子弟を訓戒せず、妄りに子弟をして孔孟の遺敎を傷はしむるに因る、子弟固より
罪あり、然れ共之を戒諭せざるの責は、父老決して免るべからず、汝等尙ほ遁辭ある
乎如何んと。父老叩頭して頻りに村民非禮の罪を謝す、一行又之に謂つて曰く。汝
等旣に自ら其罪を知る、聊か恕すべきに似たり、然れども汝等本と勢ひに附するの
徒、今や唯敵手の恐るべきを知るが爲めに特に辭を卑ふして之に謝するものたる
に過ぎず、斯くの如きは以て懲誡とするに足らざる也、汝等宜く我黨に對し、子子孫
孫未來永劫、決して復た日人を侮辱せざるべきを誓盟するや如何と、父老謹んで其
盟を爲さんことを言ひ、紙に錄して之を獻ず、於是一行村洞を出で、又大路を追ふて
進み去る。