吉倉先發の決心
然れども一方に於て、淸兵來援の爲めに、湖南の東徒は意氣漸く消磨し、一旦占領し
て號令の根據地となせる全州城を再び官軍に返へし、鋒を收めて南に還らんとす
る飛報あり。一たび此機を逸する時は、彼等は大業復た期すべからず、而して其成
敗は今や將に一髮に間に分れんとす 於是吉倉は同志と相議して曰く、嚮きに東
京に派したる大崎は茫として未だ消息を知るべからず福岡に赴きたる關屋は成
功固より期せざる所而して此間の一刻は平時の十年にも匹當す、吾徒空く手を拱
して他の返るを竢つべきにあらざるなり、加ふるに東徒の現情彼の如く旦夕を計
るべからざる危急に瀕せり丈夫唯一死を賭して大道を行ふべきあるのみ、我れ乞
ふ此任に當り成すべくんば彼徒の頹勢を挽回し、萬一成すべからずんは、彼徒の傑
人の命を救ふて日本に走らん、諸公暫く我爲す所を默視せよと、田中、武田白水、皆之
を然りとし、吉倉は鈴木等の來着を竢つに及ばずして、單身先づ湖南に向つて其啓
行を試みんとす。