兩朴山道の黨情を探る
武田千葉の二人は朴善五、朴善七の名を以て身を藥商に扮し、密陽より淸道に入り、
大邱府蛛洞の豪族、徐相龍を訪ひ、次日の黃昏、漸くにして金山の邑門に到る、百姓數
萬、市頭に喧騷して形勢甚だ平穩ならざるものあり、朴善五、行客に就て其動靜を
探る、曰く是れ東學の餘黨比隣に出沒して、人心往往之が爲めに脅かさるゝものな
りと、朴等乃ち欣然酒家に就て宿を定め、半夜街上月を踏で吟遊の態をなし、以て益
益黨情を探らんとす。當面忽ち一偉人の路を塞ぎて一睨するものあり、彼れ呼ん
で曰く、來れ孺子共に與に語らん、我に從つて酒幕に入れ。朴等懷稍稍穩かならず
と雖ども、勇をし之に伴ふて一酒家に投ず。偉人坐に就き、莞爾として杯を擧げ
囑して曰く、汝等我東道の眞意を知る乎、余は其道を四方に宣揚せんが爲めに、夜夜
巷頭に在つて行人を、竢つものなりと。朴等事の意外に出でたるを以て、始めは稍
稍狼狽して疑ふ所なきにあらず、去れど他の諄諄として說き來り說き去り、至誠の
人を動かすもの少なからざるを見るに及び心中漸く安んじ、乃ち更めて之に來意
を報じ、合せて其道の祕敎と、頃日擧兵の目的とを聞かんを要す、彼亦快諾、仔細に公
明なる黨情を告げ、且つ大義の濟衆安國に存する所以を明にし、其祕符、侍上席造化
定永世不忘萬事知の十三字を授け、再會を期して酒家より出づ。朴等是に至り、探
究の意を遂げたるを以て、星夜馳せて釜山の水明閣に歸り、同志を集めて報告する
所あり