7月2日
●東學黨の近況 東學黨が全州を捨て金堤、金
溝、泰仁の地方に退きたるに依り我が公使館より
派遣せし高嶋語學生は該地方の狀況を探りたるに
孰れも平穩に歸し再發の摸樣なしと認めたる旨を
電報せり又た洪招討使は最早賊徒鎭定したるを以
て征討軍の還歸を請求せしに依り韓廷は去二十日
(韓曆五月十七日)巡邊使李元會の歸京と招討使洪
啓薰の班師とを傳達し巡邊使は愈愈去二十一日▣
▣兵を率ゐて歸途に就けりと云ふ此の如く東學黨
已に四方に散じ去りて南道の形勢亦に憂ふべぎ▣
のなさが如しと雖ども何時再▣するや許り▣く▣
つ▣▣後の實況如何の情▣を▣し居るや此際▣▣
注意すべき要件なれば我が公使館にては去二十日
荻原警部を全羅道に派遣し親しく同地の視察を▣
げしむることゝなれり元來東學黨は政府軍の爲め
▣▣以北せしことなく其全州を捨去りたるは全く
支那兵の上陸せしを聞き暫らく其兵を▣して▣▣
軍の鋒を避けたるに過ぎざれば若し支那兵にして
愈歸國することゝならば多分▣▣を謀るならくこ
と鏡に掛けて見るが如し一時▣逸したりとて▣心
するは▣に愚の極と云ふべし大鳥公使が今日に於
て視察として荻原警部を派出せし其意を得たりと
謂ふ可きなり云云と京城よりの報に見え