6月13日 英國軍艦數隻巨文島に碇泊し居ることは近日取 ●朝鮮に來る露艦 (同上)
露國軍艦烏港の邊に在るもの數隻明十三日ごろ ●牙山の淸兵 (同上)
淸國の兵三營(千五百人)朝鮮の牙山に上陸せし ●韓廷援兵請求の事情 ( 朝鮮政府より內亂鎭定の爲淸兵の援助を求め淸 ●慮るべきは靖定の後にあり 東學黨暴威を張 ●最近報の朝鮮亂地(長城と石城) 本日の紙上 ●長城法聖の地位 東學黨が全州を陷れて勢燄 ●木覓山 本日の再錄電報に見える木覓山は京 ●朝鮮の現任武官 現任朝鮮の陸海軍各營廳
總禦使 李鍾建 左捕廳大將 申正熙 ●獨逸領事の告達 朝鮮の擾亂に就き南道に旅
●朝鮮に在る英艦 (
沙汰する所なるが是は事實にて目下碇泊し居る
は三四隻なりといふ
朝鮮近海に來らん豫定なりといふ
事に就き去九日仁川發にて或人の許に達せし電
報に據れば淸兵は牙山に上陸の後更に動かす依
然陣を布き居れりとなり
國之に應じたるが如き形迹ありと雖も是れ表面
の事なり在京城の某の報告に據れば朝鮮政府
自から請求したるにあらずして淸國政府が袁世
凱氏をして裏面に運動し强ひて此請求をなさし
めたるの事實ありと若し夫れ隣邦の交誼を以て
朝鮮の內亂を鎭定せんとならば獨淸國の援助に
限らず我帝國にても應分の援助を與ふべきは交
誼上然るべきなりといふ者あり
るも高の知れたる烏合の草賊なり之を討平するこ
と易易たるのみ唯草賊覆滅したればとて今回の事
件は局を結ぶ次第にあらず東洋の大問題は寧ろ騷
亂靖定の日に始まると謂ふも可なり淸廷の朝鮮に
於ける獨立は其名のみ其實は之を視る屬邦に異な
らず而して今回は名實倂せて藩國と爲さんとする
ものゝ如し洪鍾宇は一個の刺客のみ無位無官の一
私人のみ淸廷之を護送するに軍艦を以てす朝鮮凶
饉を訴ふれば淸廷特に國禁を解きて米穀を輸送す
其恩を朝鮮に售らんとするや努むと謂ふべし今東
學黨の亂發するや李中堂は朝鮮に近き威海衛に南
北二洋の水師を集合して艦隊の大演習を行ひ堅艦
巨砲今尙渤海にありて一令の下打立たんずる威を
示す旣にして兵を朝鮮に出して暴徒を征討せんと
す其意豈に測り易からんや此好機に乘じて宿志を
達せんとするや知るべし而して我邦は義其獨立を
危くするを傍觀するに忍びず力を極めて之を扶持
せざる可らず故に內亂の平定は朝鮮事件の終にあ
らずして始なり今よりして事局果して如何にか變
ずる吾人は時を移さず報道を怠らざるべし唯軍機
の關する所出師其他の模樣之を悉くすも紙上に公
にする能はざるを憾むのみ
再錄電報に見える京軍の長城に逼り黨軍全州に退
きたりと云へるに就き其地理を按ずるに長城は參
考の爲別項に記せし如く全羅道南端羅州の近傍に
在る處にして當初黨軍の根據となせし夫の古阜よ
り南位に方りたる地にして夫の全州監營の陷落せ
し近因となりし戰地なり黨軍は連日の電報に據る
に旣に全州を陷れて忠淸道に入り公州石城を占有
し京軍は之を天安に扼せんとせしにあらずや然れ
ば其前後の形勢を察するに黨軍假令京軍の挑みに
應ぜず兵を退けんとするも折角全力を盡して陷れ
たる全州を容易に京軍に委し其の根據なる古阜を
も守ることを爲さず石城を距る南三十里以外の長
城に遁逃し居りて京軍に迫らるゝ迄には至らざる
べきか是れ或は發電者が倉卒の際石城を誤りて長
城となせるに非ざるなきを知らんや或は黨軍の一
派が別に長城の地にあるを京軍が別路之に迫りし
に非ざるよりは石城ならでは通じ難き話なり萬一
吾人の推察に違ふなく長城を石城となしたらんに
は京軍の進擊、黨軍の退守何れも地理の上に於て
些の牴觸を見ず敢て疑點を存して異日の參照に供
す想起す過日京軍の石城を占取せし黨軍を扼せん
とせし際に於ける電報には天安を泰安となせり當
時地圖に照して是を疑ひ吾紙上には斷じて天安と
記し置けり後果して其誤電なりし事實を發見した
る事ありき尙石城まれ長城まれ七日の夜に起りし
事變が交通最不便なる今日に於て其翌日京城に
達するとは信じ難し記して疑點を存す
を加ふるに至りしは長城の一戰に因れり今其地位
を案ずるに先號に描出せし朝鮮南道地圖の中全羅
道羅州の北に標し置きたる地卽ち是なり全羅道中
沃饒なる地なりと云ふ又夫の漢陽號遭難事件に關
して記せし法聖浦は羅州の近海にして此邊一帶山
海の勝に富み小西湖の名ある處なり
城の南山なり此邊より東の方は樹木鬱然溪澗淸涼
風趣愛すべし山嶺は衆峰に抽んでゝ高く頂上に五
烽臺あり國內八道の烽線は此に相會す朝鮮にては
事變を報ずるに烽火を以てし烽臺の設け全八道に
凡三百六十五箇所、間烽の數二百八十箇所あり烽
火は夜間一點の火あれば無事の報とし二點あれば
異變ありとし白晝には薪柴を燒き昇烟を以て相圖
とする法なり知らず如今烽臺の上二點の烟火天に
沖するや否やを
長は左の如しと云ふ
壯衛使 韓圭卨 右捕廳大將 李凰磯
統衛使兼經理使 閔泳駿 南陽海軍統制使 閔應植
扈衛大將 金炳始
行し亂民の爲に損害を蒙ぶることあるも要償を訴
ふるに途なければ各自に於て心得置くべき旨を同
國在留民に告達したるよし