6月5日 官軍敗れ大將死す全州は東學黨に略取せられ電 (以上二項は一昨夜及び昨朝城外とせしモのな▣▣及ばざ ●朝鮮警報 ( 朝鮮の內亂に就き左の要報を聞得たり
東學黨の叛亂に就きて曩に其筋より朝鮮に派遣 朝鮮政府は淸國より兵を出して東學黨を鎭撫せ 我人民居留地保護として若干名の巡査を朝鮮に 朝鮮駐在官より日日祕密電信にて危急の狀を報 大鳥公使は內閣の方針確定せば今日の中にも直 此報も昨日取りあへず號外とせしが一旦電信 ●陸軍大臣邸の會議 前刻電報せし陸軍大臣邸の會議は參謀會議にて ●軍務局 (同上)
陸軍省軍務局は非常に繁忙なる模樣なり
●朝鮮行の巡査 (同上)
前報朝鮮行の巡査は二十人にて明日か明後日出 ●東學黨京畿に迫らんと 昨三日京城發にて左の電報ありたり
官軍又全州礪山に大敗し副將以下死する者二百 ●朝鮮兵亂 實にや生民の血は絶えず地球の上 一將來朝鮮國若し變亂重大の事件ありて日(日 淸國果して援兵を出したるか抑旣に我國に向て ●朝鮮の風雲益急なり 全羅道を根據としたる ●東學黨の占領地 亂民の全州を侵略し忠淸道 羅州 守兵八百餘(京城まで六十六里廿四町) ●朝鮮の內情 去廿三日京城發にて當地の或方
●東學黨益猖獗
(
報通せず政府狼狽し京城の人心洶洶たり又兵六
百を發す
る方もあらん)
し實地視察をなさしめたる武官あり武官一昨二
日歸來り東學黨の形勢愈よ大亂とならんとする
趣を報告せり
られたしと駐在官袁世凱氏に申込みたるに袁氏
は至極同意なるも公然淸國政府へ請求する方宜
しからんとの旨を告げ朝鮮政府已に公書を以て
淸國政府へ援兵派遣の請求をなしたるよし
送らんことに決定したり
告し來り朝鮮政府は已に淸國政府へ出師の請求
をなせしこと明瞭となりしかば我當局者は陸軍
大臣邸に會議を開きたり今日も早朝より會議し
つゝあり海軍大臣も之に會せり
ちに出發すべしとなり
局の配達を受けし後東京にて俄に其中軍機に
關する事に就き修正を施すに至りしかば號外
として報道するまでに太く手間取りたり
(
有栖川參謀總長殿下及び川上參謀本部次長、大
山陸軍大臣、西鄕海軍大臣、伊藤內閣總理大臣、
兒玉陸軍次官、中牟田海軍軍令部長其他將校出
席し午後二時に至りて閉會せり議する所矢張り
朝鮮に關する事なりしならん
發す全く我公使館護衛の爲なりといふ
す (
餘人、東軍已に公州石城を占據し將に京畿に進
まんとするの勢あり是に於て韓廷更に五百餘の
兵を發して天安の街路を扼したり
に流る朝鮮に於ける洋倭斥逐の革命軍が意外にも
破竹の勢を以て京城に迫れりとは電報の示す所な
り而して中にも吾人が耳朶を貫くものは朝鮮政府
より公文書を以て出師來援を淸國政府に請ひ淸兵
將に境を越えんとする事是なり十八年五月に於け
る天津條約の一節を案ずるに曰く
本)中(支那)兩國或は一國兵を派するを要す
るときは應に先づ互に行文知照すべし其事定
まるに及では仍卽ち撤回し再び留防せず
行文知照を經たるか是れ吾人の聞かんと欲する所、
他日當に詳論すべき也
東學黨の亂民連戰官兵を破り全州は早く其有に歸
し今は旣に進んで忠淸道に入り公州石城を占領し
政府は爲に援兵六百を增發して天安の要衝を扼せ
しむるに至れる事旣に一昨日來の電報に見えるが
如し石城は京城を距ること陸路我廿六里、天安は
十八里廿四町許なり京城の周章以て知るべし
に進入せしこと前項の如し今全羅道に於て占領せ
る地區を擧ぐれば左の如し
光陽 同千百餘(同七十二里十六町)
扶安 同三百餘(同五十里廿四町)
興德 同千四十餘(同五十六里)
高敞 同六百餘(同五十六里卅二町)
益山 同八百餘(同四十里)
寶城 首將、副將の兵營あり總勢一萬六百餘
に達したる報には東學黨は風說ほど强大の勢力は
なく來月下旬にも至らば鎭定すべし左れど若し朝
鮮政府にして東學黨騷亂鎭定を名として淸國政府
に出兵を乞ふに至らば其時こそ朝鮮政府が支那の
屬國となるべき端緖を開き由由しき一大事なれば
油斷なり難しとは獨立黨一派の意見なり朝鮮現政
府に立つ閔泳駿支那駐在官袁世凱氏に謀りて淸廷
に出兵を乞はんとしつゝ在りと云へば今後は事大
黨と獨立黨との間に一大爭鬪を生ずるに至るべし
云云とありたりと云ふ