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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
  • 기사명
    明治27年 6月 16日
  • 이미지
    prd_0133_059 ~ prd_0133_064 (447 ~ 452쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 05월 13일
일러두기

6月16日
出兵の目的

戰ひを示して和を結ぶは外交の常道なり、
蓋し我▣戰ふの威を示さずんば敵必ず我を
侮り我に凌辱を加へて我を屈服せんとする
に至ればなり、▣▣出兵は往往にして戰ひ
に終らずして平和に終る、其事例甚だ多し
然れども出兵の目的は平和に在らざるなり
必ず戰ふに在るなり、然り何の▣合に於て
も旣に出兵と云へば必ず戰ふを目的とす、
戰ふの目的無くんば兵は出す可からず、唯
だ戰ふの目的を以て兵を出し戰はずして平
和に局を結ぶは、戰ふの目的を廢したる者
に非ず、戰ふの目的を達したる者のみ、戰
ふの目的を廢せざるが爲めに敵自ら屈じて
玆に至るのみ

旣に兵を出したるの後に及び、平和を以て
目的とせよと云ふ者あり、斯の如きは明か
に兵氣を阻喪せしむる者、兵の兵たる所以
を捨しめんと▣▣る者、卽ち出兵の目的に
負く者なり、兵にして戰ふを欲せず唯だ平
和を欲せんか、此兵や敵を恐れしむる能は
ず、▣が▣を揚るに足らず、我れに戰ひの
意ある事を示すに足らざるなり、兵を出し
以て戰ひの意を示すと云ふ者は單に虛喝の
威を示すに非ず、我れに戰ひの備へあり又
戰ふの決心あるを示すなり、旣に此の決心
あり事若し我意の如くならずんば我は唯だ
一の戰ひあるのみ、戰ひて以て我意を達す
る有るのみ、敵の我れに恐れ我れに屈し我
れに從ふ所以の者亦實に我れの此の決心に
在り、我れ戰ふの意無くんば兵を出すこと多
しと雖も敵恐れざるなり、兵を出して而か も戰ふの意なきは兵を出さゞるに同じ、敵
地に出たるの兵卽ち本國に眠るの兵と異な
る無からんとす、古より兵を出して而して
其兵に作戰の決心なく、唯だ戰はずして平
和に事の治まるを目的とすと云ふ者は未だ
之有らざるなり、唯だ外交掛引の上に於て
單に恐喝を目的とする示威運動と稱する者
は無きに非ず、然れども示威運動は唯だ兵
を演じて勢を擬するに止まる、啻に兵を演
ずるのみに非ず進で敵地に進入し而して戰
ひの意無しと云ふ者實に異例なり、兵の敵
地に進入するは旣に示威運動の範圍を超え
たる者なればなり

出兵して而して戰ふの意なき者は或は平和
を全うするを得るも名譽を全うする能はず
旣に戰ふの意なくして唯だ平和を之れ欲す
敵我れを凌辱するも我れ爭ふこと能はずして
從ふに終らんのみ、我れ不名譽の事あるも
奮然として之を雪ぐ能はず又忍ぶに終らん
のみ、我れ從ひ我れ忍び之に由りて平和を
得る、平和得難きに非ず然れども一國の名
譽と云ひ一國の威光と云ふ者は到底揚らざ
るなり、兵は必ずしも戰ひを好むに非ず又
求めて戰ひを作すに非ず、唯だ戰ふの決心
あらば卽ち足る、唯だ決心あり和して我が
名譽と我が威光に損するの恐れ有らば卽ち
戰ひて之を全ふするのみ、我れ戰ひて之を
全ふするを期す敵乃ち侮る能はず我が名譽
傷けられず、我が威光損せられず、我乃ち戰
はずして平和を得、名譽威光を全うするな り、戰はずして而して戰ひの目的を達する
なり、戰ひを示して平和を得ると云ふ者は
之が爲なり、戰ふに意なきの兵を出し而し
て之れに依りて敵を威し之に由りて平和と
名譽を全うすと云ふ者は未だ曾て有らざる
なり、戰ふの意なくんば初めより兵を出さ
ざるに如かず兵を出して而して戰ふ勿れと
云ふ是れ平和と名譽を全うする勿れと云ふ
なり兵をして無用の長物たらしめよと云ふ
なり、吾人必ずしも朝鮮事件に就て之を▣
はず、唯だ外交の道必ず然る可きを見て之
を云▣のみ▣者以て如何とす

●朝鮮戰記
全州陷落後の狀勢

▲招討使頻に援を外國に借らんことを請ふ
招討使は東學黨の兵多く官軍の兵少きを憂
ひ五月廿三日狀聞して外國兵を借り東學黨
を掃蕩せんことを請ひ同じく卅日又東學黨日
に其數を加へ其勢を增す狀を具して再び之
を請ふ亦以て招討使が如何に東學黨を恐る
かを知るべし果然六月一日長城の大敗あり
て全州陷る固より其處なりと云ふべし

▲晉州襲はる 五月三十一日慶尙道監司よ
りの急報に曰く向きに東學黨の一魁首白弘
錫を殺戮したりしに黨人數萬不意を▣いて
晉州に闖入し大に城內を騷がせりと右晉州 城と稱するは釜山を去る僅僅三十里の地而
して慶尙道に於ける唯一兵營にして兵使を
置きたる所濠深く壘高く中中要害の場處な
る上木綿の産地として八道に名を知られ其
産額も亦年年二三十萬圓に下らざる處なれ
ば此地の騷亂は單に政府の爲め迷惑なるの
みならず其商業に影響することも亦大なり

▲報恩危し 東學黨の者更らに報恩に其の
勢を聚めたる爲め邑內將さに陷沒に至らん
とす之を救ふは唯だ京城軍を至急に發送す
るに在りと六月一日淸州營將より飛電あり

▲公州以南は國家の有に非ず 六月二日忠
淸道監司の報に公州以南消息全く通ぜず而
るに前の全羅監司金文鉉は全州陷落の際僅
に難を免れて本營に步み來りたり今其言ふ
所に依れば公州以南は今や國家の所有にあ
らざる▣況なりと狼狽して語れる由

▲全州四隣の通信 黨兵の六月一日全州監
營を陷し入るゝや前の監司は走つて山▣に
身を避けたり慶慕殿には太祖の影帖を奉祀
せるが故に禮曹堂上を派遣して奉審す全州
電局は東學黨に撓阻せられ少しも通信する
ことを得ず因て錦營より負商牌を設置して
全州領に至り急報を以て忠淸の公州に遞送
して電通するなり

▲巡邊使出立 六月三日兩湖巡邊使李元曹
(兵使にして七十の老將曾て人望あり)西營
(平安監營)の兵丁を率ゐ忠淸道の恩津に向
つて進む蓋し彼徒の前路を防阻せんが爲め

▲忠淸の黨勢愈愈熾んなり 六月二日錦伯
(忠淸監司)の電報▣りに達す其云ふ所に據
れば道內東徒處處に蜂起し列邑の官屬皆大
いに恐れをなし暇を乞ふて去る者近來極め
て多く守宰は空しく手を拱するのみ靑山縣
(報恩を去ること遠からず)には數千名の黨
人目下屯集し居り形勢嶮惡なり

▲監司空しく中途に彷徨す 同日新任全羅
監司金鶴鎭は公州まで到着したれ共前途障
妨多く進み得ざるが爲め目下同所に滯在中

▣征兵戰ふを敢てせず 同日江華營の兵丁
群山浦に滯留したるまゝ空しく騷亂を傍觀
してあり

▲軍糧 同日京兵は軍糧頗る窮乏せる爲
め忠淸道內の浦米にして京司に上納すべき
ものを悉く巡邊使の營に移し以て軍糧に充
てしむと云ふ

▲忠淸監司の發電 六月二日申刻今恩津隊
官よりの報狀を見るに招討使は院坪より道
を倍して進軍し今日全州に到着の上東學黨
と接戰せりと云ふ又新任全羅監司は唯今漸
く恩津に向て發向せり

▲撫民策 勒諭屢屢三南地方に下り以て其
蒼生を慰し更に參判嚴世永を以て廉察使と
なし卽日馳下して南道に於ける吏政民疾を
究明せらるゝと云ふ

▲奸官を斃さずんば已まず 東學黨人の志
▣は近頃專ら地方の虐官を退治するに領き
たるが如し卽ち彼等は昨今監司の金文鉉轉
運使の趙弼永均田使の金昌錫古阜郡按覈使
の李容泰と都合四官人の首級を得て之を全
羅忠淸の境上に於て梟木に懸け以て各各甘
心せずんば已まずと唱へ居る由果して然ら
ば夫の替天行道の大願は僅かに一時の名義 に留まりたる者乎

▲一は死刑、一は貶竄 古阜郡司趙秉甲今
將に死刑に處せられんとし按覈使李容泰は
旣に金隄郡に貶竄せらる

●官軍全州を恢復す

一昨日朝鮮京城より左の電報或方に達せり
官軍進んで東軍を破り全州遂に官軍の手
に恢復せり東軍は退ひて金堤を守る

金堤は全州を距る凡そ十里是より古阜に至
るも亦十里なれば此報として信ならしめば
東軍は已に古阜全州間の一半を失ひたるも
の然れども昨今韓廷の政略上虛報を傳ふる
ものあれば尙後報を待て確むる處あるべし

●淸兵戰地に向ふ

一昨日京城より或る方へ達したる電報に
牙山にある淸兵は其一半卽ち千名丈け今
日公州へ向出發し其一半は尙牙山にあり

とありたり左れば淸國兵は京城に入らず牙
山より直ちに東軍の征討に向ひし者ならん

●閔泳駿の財産 朝鮮の總理大臣たる閔
泳駿は同國官吏中第一等の財産家にして凡
そ我廿萬圓計を所有し居れり今日閔族の政
府を維持し居るは全く此財産に因ると云ふ

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