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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 23日 變服間諜日記 (四)
  • 이미지
    prd_0130_217 ~ prd_0130_221 (217 ~ 221쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 11월 27일
일러두기

12月23日
●變服間諜日記 (四)
安達如囚

(朔寧方面より平壤に進む)

九月六日 朝霧甚だ深し、則ち山腹に在て晴る ゝを待つ、例の通辯君は戒心尤も深く常に展望の
勤務を勤めて用意甚た周到なり、午前十時頃狹霧
全く晴れたり、山麓數方里の平原、稻靑く黍枯れ
白衣の韓人其間に點綴する樣盡く眸裏に集來る、
展望君は常に其勤務に身を委ね、騎馬の韓人牛飼
ふ小童を見るも其支那兵なるかと疑ひ、來つて予
等を驚かすもの數次、曰く淸兵來れり淸兵來れり
と、余等彼を慰めて曰く、彼は韓人なり、萬一淸
兵なりとするも、吾等四人協心せば數十の豚漢に
當ること難からずと、則ち相携へて山腹を步し栗里
場を瞰下す、住民の長煙管を啣へて俚謠を唱へ粟
を杵く樣の閑雅なるは、余等をして敵兵の空しき
を悟らしめたり、則ち山を下りて酒幕に入り敵情
を問ふ、曰く三登より敵の來往間斷なし、昨夜又
淸兵十七騎來りて牛馬を徵發し去れりと、余は先
つ五六椀の濁酒を傾け、祥原行の偵察組と別を告
げ筒井軍曹と共に三登の方向に進む、昨夜逢ひた
る敵の橋梁破壞隊二十人許は其後細路を通りて祥
原に向ひたりといふ、此の日生街と稱する三叉路
まで四里許進んて露宿す、途中別事な
し、

九月七日 筒井軍曹は一先當地まで敵兵無きを
報告せんが爲め遂安まて歸途に上る、此に於てか
余は天涯敵中の一孤身とはなりぬ、別に運命を相
談す可き者なく、心細さ言はん方なし、倂し外に
道なければ糒を嚼りて漸く腹を充たして行進を
始めたり、生街より三登は僅に三里半に過ぎざれ
ども道なかなか捗取らず、午後二時半頃三登邑を
繞流する大江の濱に至る、玆に難義
といふは、余は元來鬚髯多く、加ふるに近視眼な
るを以て眼鏡を穿てることの一見韓人の風采と懸け
離れたるにぞある、責て鬚髯多くとも韓人の如く
天然に任せて延ばし置かば格別、生憎一寸五分ば
かり栗の刺の如く、眼鏡の框も韓人風の鼈甲製な
りしならんにはと思へども、これも我國人ならで
は多く緣取らざる鋼製のものなれば、此大江の
渡舟を雇ふの時恐らくは舟子の疑を致さん、蓋し
敵が吾隊の進行を妨げん爲めに橋梁を破壞せしめ
たるさへあるに、此江の渡舟を其儘置く可き譯な
ければ必ず舟子共は敵と通じ居るに相違なしとの 想像は畵かれたる也、予は止むを得ず、人目を避
けながら江岸を步みつ、如何にもして徒涉し得べ
き淺瀨を發見せんと勤めたり、無效、上流下流數
里の間水色藍の如く綠にして徒涉す可き樣なし、
嗚呼予をして曾つて游泳の術を學ばしめば予は斯
くまでに困難せざりし也、然れども其結果は却つ
て予をして江の上下に於て四箇の渡舟場あるを知
らしめたり、予は止む無く以前の渡場まで歸り來
りし時は午後八時頃なりき、折しも眉樣の新月は
江心に映ろひて水、石に激するの處に至つて碎か
れ、漾漾蕩蕩たるの水面に一種銀色の漣を起せ
る樣、流石に風流の情を牽かぬにあらねど、顧み
て此江水の爲めに沮められ三登探索といふ大事の
目的を達する能はざるかを思へば無念の極、我知
らず二の腕を緊と扼り、五體は黑鐵の如く小動だ
にせざりしもの暫時なりしが嗚呼天幸!天幸!天
は予に目的を達す可く一縷の端緖を開きたり、予
か佇立せし邊に旅行者らしき一人のサラミは來れ
り、彼は渡を求むるのサラミ也、聲高く對岸に繫
げる渡舟を呼びしが、暫にして波は玉屑を舷端に
進ばしらせて此岸に來れり、サラミは舟に上れり
余も會釋なくつづいて飛込めり、余は一語も話さ
ず、舟の片隅に蹲踞り居れば、彼れ如何で予を日
人なりと知り得可き、中流にて渡錢を乞ひし時も
予は默して多く彼に與へたり、舟は彼岸に着きぬ
予は直に上陸して三登の市街に入れり、入るや否
や狺狺の聲を以て街區は充されたり、兎角朝鮮の
犬は異國人を嚊ぎ分くると見えたり、予は止むな
く江岸の松林に退き露宿の事に決心す、

九月八日 黎明煙艸を薰らして松林の細徑を過
る一箇の韓人あり、予は彼を呼寄せ三登に於ける
敵情を問へり、彼は予の日本人なるを知り、大國
人オプソ(無い)の一言を以て責を塞ぎ急ぎ避けん
とす、予は則ち腰の仕込杖の鯉口少し寬ろげなが
ら彼を恐嚇したり、今吾兵潛行し來りて對岸に在
り、咄汝實を吐かすんば急ぎ陣頭に屠りて今日血
祭りの犧牲にせんと、彼れわなわな慄へなから
語るらく、此地淸兵來往するもの多し、是れ米穀
を徵發せんが爲めなり、縣監亦淸兵に通じ淸兵の
爲め治內の民に令して每一戶柴木一束米粟三斗を 出さしむ、縣監は數日前に一回の徵發物件を蒐め
之が宰領となりて平壤に到り昨夜歸縣せりといふ
今や貴國の大陣此境に入れりと聞く、然らば未貢
の米糧は猶之を淸國に納めんか將貴國に獻ぜん乎
抔朴直極まる話まで語りたり、余は此等の言葉を
味うて大に敵の糧食に缺乏せるらしき事等をも
呑込みしかば、一先潛行的に市街を周覽し、直ち
に本隊に報告するの必要を感せしかば、韓人に對
して間諜の露顯等を避くるの遑なく、若し渡場に
て韓人、一語にても愚圖吐かは切殺し吳れんづ勇
氣を鼓して渡舟を促せり、サラミは案外にも容易
く元來し河岸に漕着けたり、噫若し三登にて敵に
逢ひしならば地理は水に背きて脫くべきの活路を
求むるに由なく、哀れ俎上の魚肉となつて蠻奴の
料理に任す所となりし也、余は無事此岸に着いて
重荷を卸したるか如く心地何となく爽かに日頃自
慢の健足は益益速度を加へ、午前十一時曾つて筒
井軍曹と分れたる生街といふ處に着きぬ、これ迄
は韓人に逢ふや間諜なるを悟られじと競競悸悸の
思をなして進める路も今は大袈裟に闊步し、是迄
糒を嚙んて忍び居し腹は米飯を食度抔いふ贅澤
なる考も涌き、生街の富者らしき家に入りて、久
振りに炊ぎだての飯を食ひたり、斯くて一二町步
み來るに道小高き處を通す、不圖三登の方を顧れ
ば韓僧三名谷山街道より此方を指して步み來れる
あり、漸く近きて間近うなりぬ、疑はしきは韓僧
の常とて大抵頭陀袋を背負ひ錫杖を有するに此三
僧は揃ひも揃うて身輕の行裝なり、怪し、怪し、
彼は是れ敵の間牒なり、秋水三尺鳴つて腰に在り
擊劍は左迄達人ならねど、豚の首位は刀の功德に
依賴の心あり、然れども余は思へり、若し爭つて
怪我しなは損なり、況んや萬萬一殺されなば勤務
の罪人なり、彼等余を間諜と知つて追躡するや、
將又知らすして進み來るか、一ツ試さんにはと思
ひしかば、余は早足の步調を取りて步めり、顧み
るに彼亦早足に進み來れり、余は彼等余を間諜と
勘着けるを知れり、而して此時余と彼との距離は
僅か二十步に過きず、三十六計の上策を採るは正
に此時に在りと思惟せしかば、一飛千里一目散に
驅け出したり、彼亦韋馱天走りに走り來れり、余 は運命を足に任せて落延んと期せり、されど不幸
にも余は背膸に宿痾ありて到底大道を逃げんには
終に彼等の追躡に勝つ能はざるを悟りしかば、蜀
黍の田間に小徑を認め、喘ぎ喘ぎ途窮つて盡く
る際まで逃け落たり、顧るに敵の追躡は隻影無し
全く余を見失ひたるものと思ぼし、此地幽谷の小
村にて人家五六戶あり、余を見て頗る怪しむ、余
は則ち現在の珍事を語らす、迷路の旅人たるを
名告り、就いて生街の里數を問ふ、曰く一里半と
嗚呼余は現在一里半の道を驅け來りし也、該地名
は白陽洞といふ、再び來路に戾らずんば大路に會
する道なき由も尋ね知りたり、然れども余は今來
し路に出づるは何と無く敵の待伏でもある心地に
て望しからず、則ち唯一の器械なる磁石を取りて
方針を案ずるに東北に直進せば必す大道に會すべ
き冥想あり、余は斷然此方針を取るに決す、山を
攀ぢ谷を越え樵者の跡だに絶無なる境を辿り、此
日遂に山谷の間に露宿す、

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