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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 20日 變服間諜日記 (一)
  • 이미지
    prd_0130_206 ~ prd_0130_209 (206 ~ 209쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 11월 24일
일러두기

12月20日
●變服間諜日記 (一)
安達如囚

(朔寧方面より平壤に進む)

變服偵察とは之に任ずる者服裝を變じて敵境に
入り、彼をして日本人たるを悟らしめず、以て
敵情を探偵するの謂なり、卽ち是れ斥候の奇な
る者にして而して間諜の正なる者と謂ふ可し、
是を以て此任務たる極めて重大なると同時に、
亦極めて危險なれば、能く之を行ふ者の功や必
ずしも彼將校が城を拔き地を略するの績と擇ぶ
所あらず、

然り而して世人往往輕薄、只尋常の戰記卽ち何
方面より何日何時に出發し、どこで吶喊しどこ
で壘を拔いた抔の報道を愛し、劍を揮ふ者の勇
を稱して而して刀を拔かさる者の苦を察せず、
征淸軍に間諜の任を帶びて深く敵地に入り、彼
れの發覺する所と爲りて、炮烙の刑に處せられ
或は肝を抉ぐり肉を啖はれたる福岡縣人山崎羔
三郞鐘崎三郞其他の慘死を聞いて、熱かつたら
う痛かつたらう抔の點より同情を寄せて、而し
て其此に至る迄には死ぬにも勝る大痛大艱大恨
を經來る所以の情狀に想ひ及ぶ莫し、蓋し是れ
世人が偵察の如何なる者なるかを知らざるにも
因る可けれど、斯かる酷い目に遇うて死むだ人
人に對し氣の毒の至極ならずや、予此日故人山
崎の死を聞き緣りて自ら經歷せる迹を追懷し、
轉た悚然の感に堪へず、且つ此任に當る者の苦
心の一斑を世人に告けまく欲するの情切なり、
乃ち此日記を二六紙に寄す、

斯に一言を附す、僕は平壤の役に朔寧支隊に從
ひ、一番眞先に城內に繰り込みたる一人にして
當時押收の書類其他に就いて珍聞奇談多かりし
も、職務上全く通信を禁ぜられ、爲めに讀者に
孤くの已むを得ざるに至れり、後余は通譯官と
云ふ肩書附きの身と爲り義州より九連城迄進み
たれば、種種面白き觀察も少からねど、現今身
事多端にして永く筆を執るの暇なし(此頃は彌彌百姓手と爲りて
五六字書くにも▣へる位也大體此一事にても推して玉はれ
)シカシ朝鮮の事も支那 の事も半年や一年で濟む譯では莫し、我等が多
年抱持する一片の志業前途甚た遼遠なれば、追
追愉快なる通信を致すこと有る可し、二月や三月
音沙汰なし迚立消抔と見給ふ可からず、

八月九日 京城を出發して淸兵追躡組を追躡して
十三日の晝頃一行と會してより敵を殺せし事もあ
り敵に圍まれし事もあり又は呑氣に川漁抔して暮
せし日もあり同行八人八犬士然と連立ち來りしが
二十一日金化縣の葛右介といふ酒幕店にて赤龍子
(天眼君易を好む故に此稱あり)と君子とに分れ骰
子の目の六人連となり運は天、身體は足の進むに
任せ雪見に轉ぶ處までと心に期しながら平壤指し
て進む、

八月廿二日 鐵原府に入る時に午前十時頃なりき
府民半ば離散し殘れるサラミは予等の一行を見て
一目散に自が家指して逃げ込みぬ、婦女に逃げよ
と敎へしものならん、背戶より山を驅け廻る女サ
ラミ蒲團を背負うて脫るもあり、蓆を挾むて逃る
ものあり、忽にして府を圍むの山は盡く女サラミ
に包まれたり、予等は彼等に何の敵意を挾むもの
にあらず、何故に彼等は逃遁するや想ふに此地は
江原道春川府より平壤に達する大路に當るを以て
牙山殘敗の淸兵此地を過ぐべしといふ評判あるの
みならず、數日前淸兵數騎邑內に入りて民物を掠
奪し去れりといふ事實さへあるを以て、予等を淸
兵殘黨ならんと早合點し周章惑ふたる也、京城を
出發して以來斯かる間違に陷りたる事此日のみに
あらず、旣に同行の虎公の如きは日本人と支那人
とは腰の大刀見ても分りさうなものだ、扠悟りの
惡いサラミだナアと嘆息しにき、予等は直に官衙
を訪ひ人民安堵して其業を營むべく揭示文を爲す
が宜し日本は義に依つて貴邦の爲めに兀良哈を鴨
綠江北に追拂ひ貴邦の獨立を鞏固ならしめんが爲
めに兵を出せるなり抔と語り聽せ晝食を喫して朔
寧に向ふ蓋し金州に吾兵屯せりと聞き之と會同せ
んが爲め朔寧に道を取りしなり步すること二里餘、
夕陽牛背を照する頃に及べり時に予等一行が將に
進まんとする前程より喪笠を戴きたる三人のサラ
ミ進み來れり、予等を見しにや其まゝ其處に蹈留
まれりアノサラミも予等を兀良哈と思惟して逃げ 足蹈み居る也抔と話しなから進み行くにやゝ五十
步ばかりの處迄近きたり、此時余等より二三步ば
かり前にありし同行中の一人田中肥大君は余等を
顧みて、アノ三人は淸の間諜なるべしといふ思ひ
も懸けぬ此一言に足元から蛇の這ひ出したる心地
して、同じく立留まり武者震ひといふをしながら
刀に手を懸け彼等の方に眼を配れり、彼等の一人
目深に冠りたる喪笠に右手を懸け、予等一行に向
ひ、オーイ日本人かといふ、其聲は正しく日本人
の聲なり、然りと答へ珍らしくも不思議なる處に
て同胞に逢ひしものかな、と彼も此も鼻附き合ふ
まで近つきて先づ互に笠を脫ぐ、思へば芝居の深
編笠の對面に似たり、彼れ笑顔にて諸君を淸人と
思へりといふ、余等も諸君を御同樣の挨拶にて偵
察の方向吾軍隊の所在等を問へば吾隊は寧府を去
る一里麻田里にあり今命を佩びて鐵原を經て金化
平康の敵を探る掃頭軍曹の一行なりといふ、幸其
地は余等が經過せし地なれば其摸樣等を詳しく語
り路に地圖を畫いて方向などを指示せし時又も笠
冠りの間諜彼より來れり、圖らざりき是數年來爾
汝の交ある野田天民ならんとは、互に健康を祝し
經來りし事を問ひつ問はれつして、黃昏再會を期
して別る、猶進む半里河岸小洞に着、吾兵數里に
屯在するを知りて草鞋は愚か襯衣褌衣まで脫ぎ外
し燈下にて半風子の征伐を始む、蓋し京城を發し
て以來草鞋を脫して安眠せしは斯夜を以て始めと
なす。

八月廿三日 同地を發足して步すること一里餘新陵
洞にて朝食す、安峽、兎山及び朔寧に至る各三里
なりといふ、午後二時朔寧府に着す府の入口には
吾が哨兵あり、予等は一禮して直に官衙を訪ふ晝
食を喫せんが爲めなり、蓋し當時の人心は競競と
して民家に就いて命ずるも食を得さるか故なり、
數多の役人共は『朔州緣房』と額打たる大廈の內
に集まりつ、骨牌と稱する賭博の最中なり、負け
たるものはアイコミツチツタと稱して頭を搔き勝
ちたるものはオソートン子ーラと手を延して金を
催促す局外の彌次馬はワアワアゴダゴダ陳文漢の
高話を爲し居るのみにて予等に向ひて別段挨拶を も爲さず、一行中の肥大君は忽ち肝癪に障りしも
のと見えヤイ府使は居るか日本の客が來たと告げ
よと呼ぶ、無感覺なるサラミは府使オブソと冷冷
たる返辭を爲せしのみにて賭博の與奪に余念なけ
れば予等一行はいたく腹立ち日本語以て咄咄馬鹿
野郞、畜生、空洞奴、野呂馬等の言葉を續け樣に
言ひならべ正に門外に出で去らんとせしに、一寸
氣の利たる顔付したる三十許りのサラミ出來り、
訛言交りの日本語もてアナタバクチ、ハイケン、シ
マセン抔と予等に賭博をすゝむ馬鹿らしくもあり
腹立しくもあり、一同興醒め飯の事さへ言出さず
空腹ながら麻田里を指して急ぐ麻田里は則ち吾軍
隊の駐在所にして、軍隊は則ち第二十一聯隊第二
大隊なり、大隊長を山口少佐圭三氏と爲す、予等
の一行は直に大隊本部の幕營を訪へり、隊長は地
形見聞の爲め外出して在らず則ち副官に面して道
中見聞一通の報告を爲す副官は余等を通辯人とや
思ひけん澁茶一杯の振舞もせされば空腹は一層空
腹に密に隊に合へば日本酒位は飮まるべし抔思ひ
居りたる野心も失せ幕營に入りて休息す、

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