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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 18日 せめては草 (十四)
  • 이미지
    prd_0130_202 ~ prd_0130_205 (202 ~ 205쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 11월 22일
일러두기

12月18日
●せめては草 (十四)
天眼生

成歡役〓〓聶は良將也

日淸戰爭の陸戰第一着をば成歡牙山役と稱すれど
も、實際は世人の知る如く、牙山には全く戰鬪無
ければ、單に成歡役と稱するを適當とす、抑淸兵
が牙山の本壘を空うして成歡稷山方面に進みた
るは、當時副總督聶士成が意氣方に日軍を呑み、
敢て將に起らむとする變機に先じ攻勢を取りたる
者にして、邦人が想像する如く最初より逃け支度
を爲せしには非ず、尤本大將の葉と云ふ男は、元 來平穩なる人物にて活機に乘するの氣なく、開戰
に先ち騎兵を伴ひ遠く奔りしと雖、跡に殘りし聶
等が味方の手薄にも拘はらず、一時は手酷く抵抗
せしは敵ながら感心すべき沙汰なり、聞く此役に
ては親ら陣頭に立ちて指揮し、毫も畏るる氣色な
かりしと、又後日敗兵を纏めて平壤指して走るや
兵士は多く赤痢に病み、三軍風聲にも驚くに拘は
らず日軍は京壤附近に滿滿たる其邊り二十里と隔
らぬ地をも、平氣で軍を行り、敢て降服にも及ば
ず、首尾能く目的地に達し、遂に猛烈なる抵抗を
我軍に試みたる手際、天晴れ良將と稱するに足る
蓋し順境と逆境との難易の差は、急坂に石を
轉ずると逆風に舟を行るとの難易の差よりも甚し
則ち兵數、人和の多少と、本國の後楯の强弱と
を酙酌せば、何ぞ獨り我大嶋少將を揚げて敵將の
總てを腰拔ケと評し去る可けむや、

因に云ふ二將の姓、字は異なれども、葉もセツ、
聶もセツ、淸音は同じと見え、予輩後に淸軍に
在りし韓人を捉へて二將の事を問ふ折、セツ大人
は傷の爲めに洪州に逼留中死去せりと答へられ、
孰の大將を言ふことやら分らず閉口せりき、尤此噂
には誤あり死去せしは二人の內ならで、他の一將
余とやら名乘る者なりし由、又云ふ二將が平壤の
淸軍に投ずるや、彼等は城內に入るを許されず、
門外に命を待たしめられたりとぞ、

吶喊

兩軍相對し銃聲方に激しく、彼我共に數百步の間
に彈に斃るゝ者を見る、忽にして隊長士官劍を揮
つて陣頭に立ち、『突擊の用意』を大喝す、乃ち銃
劍戛戛、喇叭急を吹き、『吶喊前ヘ!』の厲聲と與
に、幾列の猛兵飛むで彈雨に向ひ、進むて砲煙を
冒し吶喊天地を動かす、勇まし共畏ろし共形▣(容)し
得ざるは、實に吶喊突擊なり、

夫れ吶喊は死生の地に於ける最激の決戰方法なり
氣に依りて成り、勢に依りて克つ、敵の氣勢容
し竹膜の微ほども我に加ふる有れば、我は倒まに
鏖殺されて已む、苟も兵を重じ鬪に愼むの將は
千番に一番、極めて切、極めて緊、萬萬已む可か
らざる時にこそ之を用う可けれ、決して輕輕に之
を行ふべき者にあらず、然り而して我軍の淸軍に
於ける每戰必ず吶喊に依りて勝つ、其勇ましさ世
界の戰史上にも斯く迄血戰を意とせざる例は之有 らざる可き歟、去れど此は相手が無規律の支那兵
なればこそ、斯く無造作に遣ツて退け得るなれど
之を常事と思ふは大過の基たる可し、平壤の役に
大島混成旅團の激鬪は、幾回の吶喊、幾回の退却
花花しきこと限り無く、世人亦嘖嘖贊稱して已まさ
れども、其爲めに多くの將士を亡ひたるの一事は
兎角識者の口の端に掛る沙汰なりとす、

开は兎も角も、成歡の戰には敵旣に地の利を占め
戰術亦頗る巧にして、闇夜路に迷ひたる廿一聯隊
の先鋒は、松崎大尉討死の時に、危く彼にまくり
立てられたり、此際若し我兵前後を意とせず、奮
進急擊すること微つせば、地利の上にて一たび敗衄
を來せしや必せり、其斯かること無くして敗を轉し
勝と爲したるは實に吶喊の功なり、蓋し此安城河
上武田隊の吶喊は、實に日淸戰爭上吶喊の第一着
にして、我軍は一般に此時初めて味を覺えしと見
ゆ、

千松的兵士

大島旅團長及長島參謀、形勢如何を視んが爲め牙
山を指して進むや、途中遙に一兵士銃を肩にし蹌
蹌として歸り來るに遇ふ、其狀恰も重傷を負ふか
さなくば疾病にも罹りし者と思はる、長岡參謀怪
みて其故を問ふ、兵士先つ敬禮を爲し、仰の如く
步行意の如くならさる迄身躰衰弱せり、然し敢て
負傷疾病の爲めにあらず、只昨夜以來喫飯せさる
に因ると、長岡參謀重ねて問けるは、各兵士非常
糧食として若干の糒を持ち居る筈なり、汝は夫れ
を如何にせしやと、兵士謹みて其糒は、今猶背囊
に在り、然れとも未た食ふべきの命令なけれは此
饑を救ふに由なしと、二將は之を聞き、右の兵士
を己れの幕營に伴ひ歸り厚く馳走せり、後長岡參
謀人に語て曰く、兵士には豫め非常糧食を給與
しあれば之を食せずして饑餓に迫るは愚の至りな
るか如し、然れとも軍隊は固と戰場に於て進退掛
引自在を要するが爲め平素嚴しき命令あり、此兵
士の如きは實に其命令を重んずるものなりと頻り
に歎賞せり、知らさるもの或は馬鹿正直の評を下
すべしと雖、斯かる性質の兵卒を訓練して良將
の之を將るあり、我軍の攻めば則ち拔き戰は則ち
勝つの偶然に非るや知るべきのみ、

佛國宣敎師虐殺さる

佛國宣敎師某淸兵の逃れ來れる七月廿九日、公州 に在り、日本間諜ならむと云ふ理不盡の口實の下
に、淸兵に虐殺されし由、我等四五日の後韓人よ
り聞き得たり、之に就けても我等か盲人蛇に怯ぢ
ずの勢以て同しく其近傍を同日に通過し來りて
彈玉一つ喰はざりしは眞に僥倖の至りにして、我
乍ら不思議の態を爲せり、

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