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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 13日 せめては草 (十)
  • 이미지
    prd_0130_191 ~ prd_0130_194 (191 ~ 194쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 11월 17일
일러두기

12月13日
●せめては草 (十)
天眼生

稻妻や越せし巖根のおそろしき

岸に上りて岩角を攀ぢ、路なき所を行くこと二三町
にして濡れたるを絞り、乾かぬ儘に着もし穿きも
し、畑の中に分入り漸く畔路を發見して辿り行き
一松樹の下に至りて初めて前途の方針を議す、或
は曰く淸兵は京城の本道より至れり、而して目下
尙續續該道より來る者に似たり、我等此儘本道に
出るは危險甚し、若かず彼等を避けて淸州忠州に
至り、迂回して漢陽附近に赴かむにはと、然れど
も淸兵の來れるは、旣に日軍と開戰の上に此公州
を略する軍略に出てたるや、將た衝突を豫防して
此地に避けたるにや、又は公州の外に淸州忠州へ
も一隊を分遣し居るや否や、虛實毛頭識る能はざ
れば、此本道を避けし迚安全は期す可からず、迂
回して却て淸兵に遇はばドーセ死ぬにも臆病の名
を留むる基とならむ、右するも危、左するも難、
是れ此逆境の逆命、我黨唯一の警語たる成行任か せに依りて制するの他に道有る可からず、乃ち一
人は斷斷乎として主張して曰く、例の通りズンズ
ン行く可し、澤山の豚奴に出喰はせてやられなば
其れ迄としやう、天命サ!方針は終に本道に出る
に決す、尤好むて暴虎憑河をキメ込む心には非ず
無益に打死するは殘念に堪えねど、此時傷者の疲
勞益益甚しく橫道に逃け込む共、饑と衰とに敵し
得可からず、且つ落人と見ば韓人共忽ち弱みに附
け入り、到る處土寇蜂起し甚しき妨害を與ふること
必然なるを以て、イツソの事潔く京城道に出て
先つ腹を拵へ、而して後運命を決す可しと云ふ理
由も此冒險主義に加はり居りし也、議は決せりモ
ー氣は强くなれり、邑の小路には出でたり、桑柘
點點の間に三四の民屋をば認め得たり、彼處に飯
有らむと云ふ布望は彌彌肩の痛さを忘れしめぬ、
遂に目的の民家に達し辛じて一釜の飯を獲、遽遽
然數椀の食を呑下し、傷者の繃帶を理し濡れたる
刀劍に油し、又勇を皷して進み、急先鋒を眞先に
立て徐徐として行く、本道に出るには二路有り、一
は程里許一は二里强、遠き方は敵の本陣たる公州
城を距ること三里位の所に出で得べしと思はれば、
左すれば一寸安心なり迚其方を取る、行くこと一里
許りにして一村落有り、遙かに望めば山社の傍に
數十の漢屹立して我等を視る、是れ或は淸兵の前
を扼するに非ずやと疑はれたれ共、成行き任カセ
の主義故意に介せずして進む、山社に達すれば、
則ち韓人の暑を樹間に避くる者たるを識る、蓋し
彼等異客の來るを見て、一同起立して見物し居れ
る也、時に日漸く中し、蟬聲亦酷熱に壓了されむ
とす、我等乃ら韓人を促して水を供せしめ暫らく
此山上に箕踞す、傷者の如きは石に伏すや否や、
曰眼を露はしてウトウトと眠る、此剛情漢斯く迄
憊れしかと思ひ遣れば、己れの辛勞などは屁の如
しと語り合ふ內、葉九百は山上より四方を觀察し
此山の地勢を認め、吾等に告けて曰く、((分かつた
淸兵は戰ふの意無し、彼れ必ず開戰を恐れて公州
に避けたるに相違なし、ナゼと云ふに、彼れ若し
公州を略して日軍に抗するの意ならば、どう有つ
ても此邊には哨兵の一小隊や二小隊は出して置か
ねばならぬ、否、前軍は此山に據りて砲列を布か
ざる可からず、然るに彼れは此樣なる跳へ向きの
地勢を捨てゝ、公州城に籠もる以上は、彼れ決し て戰意なきを斷定す可し、我等本道に出つ共、公
州から淸兵の分遣され居る氣遣ひは無し、且つ公
州に向ひ來る兵有りとも日淸開戰の有無は未た必
す可からざれば、我等は彌彌以て進むで見るが善
し、我等の運命大體は先づ勝てり))云云、咸な以
て理有るの言と爲し、稍爲めに心を安す、去れど
淸兵の暴戾なる平時に在てすら、日本人を發見次
第捕獲せむと欲することは、安達九郞が牙山近傍に
於ける前例に依りて知りたれば、兎にも角にも我
等は公州方面をば可成速かに遠退かざる可からざ
るを以て、氣の毒乍ら急先鋒を起し又も百度の熱
を冒し、河の水田の水に咽喉を潤ほすこと五七回に
して漸く本道に達す、

首尾よく本道に出でたれば人家は在り、煙草は喫
める危境の一段落、皆皆喜むで休息し、卽ち亭主
に問ふに淸兵進行の摸樣を以てするに、彼は只淸
兵が夜中に通過せる故兵數も識らず、兵樣も見ず
尤先刻通過せるは三十人許りの一組と八人の一列
なりと答ふるのみ、日本人が淸兵に遇ふての危險
を空吹く風ほどにも感覺せぬ呑氣なる返答にて、
齒痒くて堪まらねど叱り付けても同じ事故、自ら
大道に立ちて前後を望むに淸兵の來る氣色は無け
れど、道路に滿ちたる馬蹄蹂躪の迹は慥かに支那
騎兵の夥しく通過せるを証せり、且つ松明の燃え
賣其處ここに狼藉たる有樣に依りて、淸兵が頗る
倉皇てゝ夜中に急進せるを識り得たり、斯くて亭
主に問ふに此邑より公州迄は何里なりやを以てせ
るに、彼は一里半强なりと云ふ、此時予輩は朝來
殆んと十里も走りたれば、此本道に出てたる時は
最早公州の四里先きへは出てたる可しと豫想せる
に、今僅かに一里半を距るのみと言はれた時の菅
なさ、若し韓人の出任かせならむと疑はれたれば
再び亭主に念を推すに、幾度間うても一里半と云
ふ、此時は一同眞に落膽せり、何となれば淸軍は
正に騎兵を有すれば、若し我を追はむと欲せば今
にも追及し得可く、況して淸兵が更に前面より此
方に向ひ來るや知れず、又其兵數は五百有るやら
三百有るやら測り難きに、後ろから又追はれては
我等到底助かる瀨無ければなり、

是に於て分時も猶豫なり難く、一同復び身を起し
將に戶外に出でむとせるに、街上急に鬧がしく、
邑人忽ち右往左往に逃げ惑ふ、其有樣只事ならず と見れば、コハ如何に遙かの田畔に銃に仗りて立
つらしき黑い物二十個ばかり、此方を諦視して相
戒むる所有る者の如し、知る可し韓人の逃るゝは
淸兵が日本人在りと聞きて立留まりたるより、將
に起らむとする騷動を避くるに出でたるを、予は
胸轟きつゝ猶五六步を進めて彼方を視るに、果然
支那兵は立てり一頭の馬も見えたり、兎角の間に
十人許りは路傍の蓬草簇がる所に走り込むと認め
られたり、噫彼等は總て銃を持せり、其草間に伏
するは豈我等を狙擊するの意に非ざる無きを得む
や、危機岌岌、思はず今迄休みし民舍に驅け込み
たり、 (未完)

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